「分子脳科学—分子から脳機能と心に迫る 三品昌美編 化学同人」

書評

分子脳科学—分子から脳機能と心に迫る 三品昌美編 化学同人

脳や心への科学的な理解は、実際どこまで進んでいるのであろうか?脳科学の全体を俯瞰する中で、この全体像をまとめることは不可能に近い。しかし、この難題に対して挑戦したのがこの本である。1953年、ワトソン・クリックがDNA鎖の2重らせん構造こそが、情報を遺伝(コピー)するメカニズムであることを示唆し、DNA鎖を構成する4つの塩基(ATGC)で生命現象を捉える分子生物学が始まった。生命現象の基盤には遺伝情報があり、分子メカニズムとして支えられている。よって、脳の機能にも分子メカニズムの基盤があることになる。しかし、分子生物学が脳機能にアプローチするには、これまでに長い年月がかかってきた。ショウジョウバエの行動遺伝学を代表とする実験モデル系の立ち上げや、マウス(哺乳類)を用いたジーターゲティング法の技術革新が不可欠であった。しかし、現在、さらに多くの科学技術の進歩により、この本の副題でもある「分子から脳機能と心に迫る」ことが可能となり、主観的な人の心へのアプローチが始められている。この本の特徴は、分子を縦軸に、脳の全体像を捉えることができる工夫にある。大雑把な章だて、1.体を動かす、2.外界の情報を捉える、3.記憶と学習、4.体の調節、5.統合・情動・気分、6.発達、にはその意図がある。また、各章には、それぞれの分野の歴史的背景が丁寧に説明され、つい最新明らかになった分子メカニズムまでもが書き込まれている。さらに、そこには人の疾患に関する新たな分子メカニズムや遺伝子の知見もが豊富に盛り込まれている。この本の全てをじっくり読み通すには、かなりの時間と労力が必要であろう。しかし、パラパラとめくってみるだけでも、これまで知らなかった知見(歴史、分子メカニズム、疾患など)にヒットする。この点で、脳の研究者にとっても、多くの分野での新たな知見や分野を知ることのできる頼もしい本である。また、これから脳研究を志す大学院生や若い研究者にとっては、脳を全体的に捉える視点を感じ、専門分野を勉強する入り口となる1冊に違いない。(大阪大学大学院 八木 健)