【神経科学トピックス】
新奇な体験によって日常の記憶の保持が強化するメカニズム

エジンバラ大学認知神経システムセンター
博士後研究員    竹内 倫徳

脳の海馬に形成された、ささいな日常の記憶の多くは1日で忘れられますが、直前や直後に新奇な体験をともなうと忘れにくくなることが知られています。今回の研究では、新奇な体験により活性化する青斑核から海馬へのドーパミンの供給が、通常忘れ去られる日常の記憶を長期記憶へと変換させるゲートとして働いている可能性をあきらかにしました。

 「晩ごはんにどこで何を食べたか」などの、ささいな日常の記憶は「海馬」と呼ばれる脳の領域に形成され、その多くは1日のあいだに忘れられることが知られています。一方で、「晩ごはんに行く途中、学生時代に好きだった人に偶然出会った」など新奇で思いがけない出来事を直前あるいは直後にともなう場合、ささいな日常の記憶が長期にわたり保持される現象が知られています。これまで、この記憶の保持の強化には、「腹側被(ふくそくひ)蓋(がい)野(や)」と呼ばれる脳の領域が、海馬に神経修飾物質である「ドーパミン」を供給することが重要であると考えられてきました。しかし今回の研究から、実際には「青斑核」と呼ばれる脳の領域がその役割を担っていることがわかりました。
 マウスの行動実験では、報酬の餌が隠されている砂つぼの場所を日常の記憶とし(図A)、様々な素材を床に敷きつめた「新奇体験ボックス」の探索を新奇な体験としました(図B)。
報酬を含む砂つぼの場所を憶えさせる弱い訓練の30分のちに、5分間の新奇な体験をともなうと、ふだんは数時間で忘れてしまう報酬を含む砂つぼの場所の記憶が、24時間のちにも保持されていました。海馬に各種受容体の阻害薬を投与して行動実験を行った結果、新奇な体験による記憶の保持の強化には海馬のドーパミンD1受容体の活性化が重要であることが分かりました。  
 新奇な体験をしている最中の神経活動を調べたところ、腹側被蓋野よりも青斑核の神経細胞の方が神経活動の上昇が顕著でした。また、海馬に投射している線維も、腹側被蓋野よりも青斑核の神経細胞由来の線維の方が圧倒的に多いことが明らかになりました。
 新奇な体験の代わりに、青斑核の神経細胞を「光遺伝学」と呼ばれる方法を用いて人工的に活性化させると(図C)、記憶の保持の強化が再現されました。一方、腹側被蓋野の神経細胞の光遺伝学的な活性化では、記憶の保持の強化の効果が得られませんでした。驚いた事に、これまでノルアドレナリンを供給すると考えられていた青斑核の神経細胞の光遺伝学的な活性化による記憶の強化及び海馬CA1領域におけるシナプス可塑性•長期増強の亢進は,海馬のβアドレナリン受容体の阻害には影響されませんでしたが、ドーパミンD1受容体の阻害に感受性を示しました。
 
 以上の結果から、青斑核の神経細胞が、海馬にドーパミンを供給し、新奇な体験による記憶の保持の強化を担うことが示唆されました(図D, E)。今後、この分子メカニズムを明らかにすることを通じて、日常の記憶に障害がみられる健忘症を予防または改善する新たな創薬への貢献が期待されます。

(A) 日常の記憶について調べるイベントアリーナ装置。マウスは4つのスタートボックスの一つから出て,イベントアリーナ装置内(白い箱と黒い懐中電灯)及び周りに配置された種々の色や形の目印を頼りに,報酬の餌が底に隠されている砂つぼの場所を記憶する。報酬の砂つぼの場所は毎日変わる。
(B) 新奇体験ボックス。様々な素材(写真では,ピンク色に染めた葉)を床に敷きつめることによって,マウスは新奇な体験をする。
(C) ウイルスを利用して、光刺激によって神経細胞を活性化する事を可能にするチャネルロドプシンを青斑核の神経細胞に発現させる。そののち,青斑核に光ファイバーを,海馬に薬剤注入用のカニューラを埋め込む。
(D) 新奇な体験を伝達する経路に関する従来のモデル(左)及び今回の研究による修正モデル(右)。腹側被蓋野の神経細胞は海馬に新奇な体験の情報を伝達し,記憶の保持の強化を担うと考えられてきた。今回の研究の結果から、青斑核の神経細胞から海馬への入力が,記憶の保持の強化に関与する新奇な体験の情報を伝達することが強く示唆された。
(E) 青斑核の神経細胞からの出力に関する教科書的なモデル及び今回の研究による修正モデル。青斑核の神経細胞は神経修飾物質ノルアドレナリンを供給することにより神経活動を修飾すると考えられてきた(左)。今回の研究から,青斑核の神経細胞が海馬にドーパミンを供給する事により記憶の保持の強化に関与する事が示唆された(右)。

<研究者の声>
「あきらめたらそこで試合終了だよ」by安西監督 (SLAM DUNK)。
 このプロジェクトを進めるにあたり、何度となく心が折れそうになりましたが、その度にこの言葉に救われました。このプロジェクトを開始した2010年から6年間、博士課程の学生Adrianとほぼ毎日の様に議論し、一緒に実験を行いました。また、ボスのRichardからは節目節目で的確なアドバイスをもらいました。解剖学的実験は北海道大学の渡辺先生・山崎先生との、海馬のスライス実験はアメリカ・テキサス大学のGreene博士の研究室との共同研究で大変お世話になりました。このプロジェクトは、多くの研究者・スタッフの多大なる助言やサポートにより、最終的に研究成果発表にたどり着きました。この場をお借りして心より感謝を申し上げます。

<略歴>
2000年 東京大学大学院医学系研究科(三品昌美教授)博士課程終了、 医学博士
2000-2008年 東京大学大学院医学系研究科(三品昌美教授)、助手を経て助教
2008年より 英国エジンバラ大学認知神経システムセンター(Richard Morris教授)、
博士後研究員