「平成29年度 時実利彦記念賞受賞者 齊藤 実先生」

「ショウジョウバエ微小脳による記憶回路動作機構の分子生理学的解析」

東京都医学総合研究所  齊藤 実

この度、平成29年度時実利彦記念賞を賜りました。選考委員ならびに神経科学学会の皆様に御礼を申し上げます。
 私は人の個性や意識とは何か?それがどこまで分子間の生化学反応で説明できるのか?を最終的に知りたくて、それらの基盤となる経験、即ち記憶の研究を行っています。とはいえ博士課程では故高橋國太郎先生の研究室でホヤを使ってギャップ結合が神経分化に果たす役割を調べていました(J Physiol 1996)。その後UCLAから群馬大学に移動された故城所良明先生のもとで、ショウジョウバエ幼虫の神経筋接合部を用いてシナプス小胞の自発開口放出がシナプス形成に果たす役割などを調べました(Science 2001)。この間にショウジョウバエを使うことで、記憶ひいては個性や人格が分子・遺伝子の働きから理解できる可能性を感じ、米国コールドスプリングハーバー研究所のTim Tully先生のもとでショウジョウバエ記憶行動の遺伝学的解析を修得しました。
 ショウジョウバエで良く使われる嫌悪性匂い連合学習では、同期入力した匂いと電気ショック情報がキノコ体という脳領域(機能的に哺乳類の大脳皮質や扁桃体に相当)で連合され、匂い記憶情報が生まれます。この連合過程ではキノコ体神経細胞に発現するアセチルコリン受容体(AChR)、NMDA受容体(NR)とD1型ドーパミン受容体(D1R)が必須の役割を果たします。ここで哺乳類同様ショウジョウバエでもMg2+ブロック特性を持つNRが感覚情報の同期入力感知器として働き、D1Rはショック情報をキノコ体に伝えると同時に、匂い情報との連合を強化すると考えられてきました。しかし私たちが取り出した培養脳に擬似的な嫌悪性匂い記憶作成させるex vivoイメージング解析系で調べた結果、匂い情報はAChRを介して伝達される一方で、ショック情報はD1Rでは無く、NRを介してキノコ体に伝達されること(J Physiol 2013)(図1の①)、さらに驚くことにD1Rを活性化するドーパミン(DA)の放出は、単なるDA神経の活動ではなく、匂いとショック情報の共役入力を受けたキノコ体により、逆行性にゲーティングされることで、特定の標的キノコ体細胞にのみDAを放出できることが示唆されました(eLife 2017)(図1の①〜③)。またMg2+ブロック特性を欠失したNRをキノコ体に発現する遺伝子改変体を作成したところ、Mg2+ブロックが無くとも正常な連合学習が可能であり、NRのMg2+ブロックは同期入力感知器というより、定常状態(非学習時)での非同期性Ca2+流入を防ぐことで、抑制型CREBの発現を抑えて長期記憶形成時に必要な遺伝子発現を可能とすることなどが分かりました(Neuron 2012)(図1の①’)。
 嫌悪性匂い条件付けによる長期記憶は、間を空けた繰り返し学習により記憶関連遺伝子を発現することで形成されます。しかし長期記憶形成に必要な遺伝子発現は、“神経回路”における記憶関連遺伝子の発現だけでは不十分であり、細胞接着因子Klgを介した神経−グリア相互作用と(PNAS 2009)、その結果活性化されるグリア細胞特異的な転写因子Repoによる遺伝子発現、即ちグリア細胞も含めた記憶回路により長期記憶へと安定化されます(J Neurosci 2015)(図1の⑤と⑥)。さらに長期記憶情報は、ハードディスクに蓄えられた情報のように静的に保持されるわけで無く、アセチル化などでタグを付けられた遺伝子の、長期記憶形成時のCREB/CBPとは異なる転写機構CREB/CRTCの活性により保持され、保持経過に応じて転写機構がさらにCREB/CRTC依存性からBx依存性に変化していくこと、このBx依存性の転写機構への変化が、記憶情報の質的変化を生み、消去学習で消去出来なくなる情報となることが明らかになりました(Nat Commun 2016)。
 ではキノコ体を中心とした記憶回路の機能は神経疾患や加齢、生理状況によりどのような影響を受け変容するのでしょうか?私たちは寿命が約1−2ヶ月と短いにも関わらずショウジョウバエにも加齢性記憶障害が、特定の記憶過程の障害に起因して起こることを明らかにして、加齢性記憶障害が特定の遺伝子経路の活性による生物学的老化現象であることを示しました(Neuron 2003)。この結果をもとに加齢性記憶障害が抑制された単一遺伝子変異体を初めて同定し、本来記憶形成に必要なキノコ体でのPKA活性が老齢体では記憶障害の原因として働くことが分かりました(Nat Neurosci 2007; PNAS 2008; J Neuroscitou ) 2010)。そこでPKA変異体のプロテオミクス解析を行い、加齢体ではキノコ体神経細胞のPKA活性によりグリア細胞特異的な代謝酵素ピルビン酸カルボキシラーゼ(PC)の活性が上昇し、その結果D-セリンの産生が低下して記憶形成を障害することを見出しました(Neuron 2014)。さらに記憶回路機構は加齢や疾患による“負の変化”だけでなく、生理状況に適合した“正の可塑的変化”も起こすことが分かりました。前述のとおり、通常の長期記憶形成過程では繰り返し学習により、CREB/CBP依存性にキノコ体で記憶関連遺伝子が発現します。しかし適度な空腹状態では一回の学習だけで、CREB/CBPでなく、CREB/CRTC依存性に遺伝子発現が起こり、長期記憶が形成されることが分かりました(Science 2013)(図2)。
 このように記憶行動をベースに各種分子生物学・生化学的解析、脳機能イメージングを取り入れることで、単純な脳神経回路を持つショウジョウバエでキノコ体神経細胞を中心とした記憶回路から記憶情報がどのように生まれるのか?不安定な短期記憶がどのようにして長期記憶へと安定化していくのか?長期記憶情報はどのように保持されているのか?記憶回路機能が加齢や疾患により障害される一方で、生理状況に応じてどのように適応・可塑的に変容するのか?が少しずつですが分かってきました。現在私たちはDAの放出を誘導するキノコ体神経細胞からの逆行性シグナルは何か?グリア細胞でRepoはどのような遺伝子の発現を誘導し、長期記憶の形成・保持・想起さらに加齢性記憶障害にどのように関与しているのか? などに興味を持って研究を進めています。
 最後にこれまでの研究を一緒に進め、支えてくれた研究室のメンバー、学生の方々、また研究のご指導を頂いた先生、先輩方に改めて感謝致します。特に研究の進め方から論文の書き方に至るまで有形無形の指導をして頂いた故高橋國太郎先生、故城所良明先生に、お礼と受賞の喜びを報告したいと思います。
 

図1 これまでの研究から示唆される記憶情報の形成・安定化メカニズム。番号は感覚情報が入力して記憶が形成される経時的な過程。①では匂い情報とショック情報の同期性がrutabaga遺伝子でコードされるアデニレートサイクレース(Rut-AC)により感知され、DA放出へと繋がる。DAが放出されると再度(Rut-AC)が活性化され、匂い情報を伝える経路とキノコ体神経細胞との間でシナプス可塑性が起こると共に、PKA/MAPK経路を経て活性型CREBの転写活性が上昇し、長期記憶形成に必要な、presenilinを含む各種記憶関連遺伝子が発現する。①’では非同期性(定常状態)にNRを介してCa2+が流入すると抑制型CREB2bが発現する。しかし通常はMg2+ブロックがこの過程を防いでいる。⑤ではPresenilinにより切断・活性化されたNotchが幾つかの過程を経て神経−グリア相互作用を担うKlgの発現レベルを上昇させ、グリア細胞でのRepo転写活性を上げる。
 

図2 空腹による長期記憶形成の促進メカニズム。満腹時は複数回学習によりCREB/CBPにより記憶関連遺伝子が転写される。空腹時はCRTCが核に移動してCREB/CRTCを形成することで、一回の学習で記憶関連遺伝子の転写が起こる。

略歴
1987年 大阪大学基礎工学部合成化学科卒業
1989年 東京工業大学大学院総合理工学研究科修士課程修了
1994年 東京大学大学院医学系研究科博士課程修了 医学博士
1994年 群馬大学医学部行動生理部門 助手
1997年 米国コールドスプリングハーバー研究所博士研究員
1999年 東京都神経科学総合研究所分子生理部門主任研究員
2004年 同研究所神経機能分子治療部門・副参事研究員
2011年 東京都医学総合研究所・学習記憶プロジェクト・プロジェクトリーダー
2015年 同研究所・基盤技術研究センター・センター長兼任