【神経科学トピックス】
レット症候群の病態理解に向けて
‐MeCP2とリンカーヒストンH1の関係を解明‐

所属 慶應義塾大学医学部 生理学
職名 専任講師 氏名 石田綾  

レット症候群の原因遺伝子であるMeCP2の生理機能の一部は「MeCP2-H1競合仮説」により説明されてきました。今回、マウスの脳を用いた解析により、MeCP2とH1はゲノム上に独立に分布し、従来の仮説は個体レベルでは誤りであることが明らかになりました。

 レット症候群(Rett syndrome: RTT)は、主に女児に発症する神経系の疾患であり、MeCP2(methyl-CpG binding protein 2)遺伝子の変異を原因とします。古典的RTTでは1歳頃まで概ね正常に発達しますが、その後、運動・言語・認知機能に遅れが生じ、手もみ運動を繰り返す特徴的な症状がみられます。1999年にZoghbi博士らがRTTの原因遺伝子として同定して以来、MeCP2の生理機能を理解することはRTTの病態解明に繋がるだけでなく、成熟した脳が機能を維持する原理を理解することにつながると考えられ世界中で研究が行われてきました。しかしその機能については今も尚、未解明な点が多く残されています。
 これまでにMeCP2の機能を説明する様々な仮説が提唱されていますが、その中でも「MeCP2-H1競合仮説」は広く論じられてきた仮説のひとつです(図A)。DNAはコアヒストン(注1)に巻きつきヌクレオソーム構造(注2)を作りますが、ヌクレオソーム同士を繋ぐリンカーDNA(注3)にリンカーヒストンH1(注4)は結合しています。過去の実験から、MeCP2もH1と同様にリンカーDNAに結合し、MeCP2が結合するとH1が外れることが示され、「MeCP2-H1競合仮説」が生まれました。この仮説によれば、RTTではMeCP2がDNAにきちんと結合できなくなるために、H1がリンカーDNAに過剰に結合するようになり病態を引き起こすと説明されます(図A)。しかし、実際に脳でこのようなことが起こっていることをはっきりと示す証拠はありませんでした。
 そこで私達はこの仮説を検証するために、MeCP2とH1.0のゲノム全体での分布をマウスの脳で調べ、両者の関係を解析しました。H1にはいくつかのサブタイプがありますが、なかでもH1.0は神経細胞に発現し、従来の実験でMeCP2と競合関係にあることが示されていました。H1.0のゲノム上での分布がMeCP2の影響を受けるか調べるために、Mecp2欠損マウスと正常マウスでH1.0の分布を比較しました(図B)。その結果、予想と反し、H1.0の分布はMeCP2の有無に関わらず変化がなく、「MeCP2-H1競合仮説」は個体レベルでは誤りであることが分かりました。また、今回の解析からMeCP2とH1.0のゲノム上の分布パターンがよく一致することも分かりました。これらの結果から、MeCP2はH1と同様のゲノム領域に結合しますが、H1とは独立に遺伝子発現を調節していることが示唆されました。MeCP2にはクロマチンの立体構造を調節する機能があるといわれています。今後は、この可能性を検証しMeCP2がどのように遺伝子発現を制御するのかを明らかにしていくことで、RTTの発症機序解明や治療開発に役立つと期待されます。

発表した原著論文
論文タイトル、著者、掲載年、掲載雑誌、巻号頁 の順に記載(半角英数)。
Genome-wide distribution of linker histone H1.0 is independent of MeCP2.
Ito-Ishida A, Yamalanchili HK, Shao Y, Baker SA, Heckman LD, Lavery LA, Kim JY, Lombardi LM, Sun Y, Liu Z, Zoghbi HY. 2018, Nature Neuroscience, Jun;21(6):794-798.

<注釈>

1)コアヒストン:DNA(全長約 2 m)は細胞核(約 10 μm)の中に収納されるために、コアヒストンというタンパク質に巻きつき、コンパクトにたたみこまれている。コアヒストンはH2A、H2B、H3、H4の各2つからなり、8量体を形成。

2)ヌクレオソーム:コアヒストンの8量体ユニットにDNA鎖は約2回まきつく。このDNAとコアヒストンの複合体のことをヌクレオソームという。多くのヌクレオソームが数珠状につながり、DNA鎖をまとめている。

3)リンカーDNA:ヌクレオソーム同士をつなぐDNA。

4)リンカーヒストンH1:リンカーDNAに結合するタンパク質。H1が結合すると、数珠状につながったヌクレオソームがさらにコンパクトに折りたたまれる。

以上の説明ついては、脳科学辞典を参考にした。https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3
#DNA.E9.8E.96.E3.81.AE.E6.A0.B8.E5.86.85.E3.81.B8.E3.81.AE.E5.8F.8E.E7.B4.8D

<図の説明>
(A) 「MeCP2-H1競合仮説」について:DNAはコアヒストンにまきつき、ヌクレオソームを形成し、ヌクレオソーム同志はリンカーDNAに繋がれている。この仮説によるとMeCP2とH1はリンカーDNAへの結合を競い合う関係にあり、MeCP2がDNAに結合するとH1が外れ、逆にMeCP2が外れるとH1が結合する。つまり正常な状態では、MeCP2とH1は良いバランスを保っているが、RTTでMeCP2が失われるとH1が過剰にリンカーDNAに結合するようになり、クロマチンの状態が異常になると考えられていた。

(B) H1.0のゲノム上での分布に対するMeCP2の影響: Chip-seq法を用い、H1.0の分布をMecp2欠損マウスと正常マウスの脳において全ゲノム領域で解析した。グラフはゲノム上に結合したH1.0の密度について正常マウス(横軸)とMecp2欠損マウス(縦軸)の関係を示す。Spearmanの相関係数=0.96であり、両者にほとんど差がないことが示された。

<研究者の声>
本研究はZoghbi研究室への留学中に行いました。プロジェクトを始めたときには「MeCP2-H1競合仮説」を支持する論文を読み、すっかり(Vivoでも)真実と信じ、「混沌とした議論に終止符を打てるのではないか」と幻想を抱きました。しかし実験を続けてもサポートする結果が得られず、最終的にはChip-seqで明快な回答が得られました。MeCP2の難しさを痛感しましたが、仮説を検証し積み上げていくことの大切さも身に染みて感じました。また、留学中にはZoghbi先生、ラボメン、友人、家族に励ましていただいたことを、この場を借りて感謝させていただきたいと思います。

<略歴>
2003年、東京大学医学部卒。2003‐2005年、自治医科大学小児科(初期研修医)。2009年、慶應義塾大学医学部博士課程修了(柚﨑通介研究室)。東京大学医学部(岡部繁男研究室)、Baylor医科大学(Huda Zoghbi研究室)での博士研究員を経て、2017年より慶應義塾大学医学部生理学 助教、2018年‐専任講師。