「伊佐新会長よりのご挨拶」

ご挨拶
 
 このたび、田中啓治前会長の後を受けて、2017-2019年の日本神経科学学会の会長を拝命しました伊佐正です。これまでの神経科学学会の発展を担って来られた歴代の会長の先生方の優れた実績を考えるにつけ、私は自分の非力を強く感じてしまいますが、皆様のお力添えを得て、神経科学学会のさらなる発展のために微力を尽くして参りたいと思いますので、宜しくお願いいたします。
神経科学は今や成熟期を迎えようとしているのではないかと思います。私が研究の世界に入った30年余り前には考えもしなかった程、様々な技術が開発され、脳についての多くの知見が得られるようになりました。当時は、限られた技術で、様々な分野の研究者がそれぞれに「群盲象をなでる」かのように脳を研究していたという感がありました。しかし、今やイメージングで脳の多数の領域から大規模に神経活動を記録し、そこから瞬時に情報をデコードしてフィードバックするような技術、光遺伝学・ウィルスベクターによる回路機能の操作、ゲノム編集技術など、私たちは脳の機能をより深く知る様々な手段を手にし、意識、長期記憶、社会性、個性、意思決定など、当時はとても科学の対象としては扱えないと思っていたような対象についても様々な科学的なアプローチがなされるになってきました。研究者として、私はとても素晴らしい時代に居合わせたと思っています。
しかし、一方で、北米の神経科学会も数年前から会員数がやや減少、我が国の神経科学学会も順調に増加してきた会員数もそろそろ頭を打ち始め、大会参加者数もこの数年横ばい状態が続いています。日本からの発表論文数が長期漸減傾向にあるのは周知のとおりです。何故でしょうか?米国では研究費獲得が困難になってきたという声はよく聞きます。日本においては、全体としての神経科学分野への予算は諸先生方のご努力により、この10年間、何とか維持してはいますが、国立大学や理研などの基幹的な研究機関に対する運営費交付金の削減が影響しているのかもしれませんし、若い世代の人口減や、「研究者=ワーキングプア」というイメージが作られてしまったことによって研究者を志望する若い人が減ってきていることを反映しているのかもしれません。しかし、考えられる可能性の中で私が最も危惧するのは、科学が成熟期を迎えたがゆえに生じる問題です。いろいろな技術が使えるようになったということが、ある仮説を実証するために膨大な種類と量の厳密なデータを求めるということをさらに促進します。最近のhigh profile journalに掲載される論文のsupplementary dataの量を見るとご理解いただけるのではないかと思います。これは科学の発展段階としてやむを得ないことではありますが、そうすると多くの種類の実験を統括できるbig laboでないと、このようなjournalには論文を発表できなくなってきます。実際に神経科学以外の多くの研究分野、例えば大型ハロドン衝突型加速器やスーパーカミオカンデが必要となるような物理学の分野などでも同様なことが起きています。これが行き過ぎると、サイエンスの厳密化と同時に硬直化が進行し、生身の人間である若者にとって研究が魅力のない仕事になってしまうのかもしれません。一方で、「いろいろなことができるようになった」ということで、「本当に脳の何がわかったのか?」ということを、我々は今一度よく考え直してみる必要があると思います。脳のことが本当にわかったとは言えない段階なのに、科学が成熟期から爛熟期を越えて衰退していくということがあってはならないと思います。その分野が若々しい時代には、少々粗っぽくとも、お金も機材も十分に持たない若者がアイデアと能力勝負で新しいコンセプトを打ち出して行くことが可能で、そういう研究を魅力的だと感じるのは私だけではないと思います。本来、神経科学にはこのような部分がまだまだ残されており、脳科学のbig science化が進む一方で、誰にもアイデアと能力勝負で素晴らしい研究を成し得るチャンスがあると私は信じており、そのようなサイエンスのシーズを見出し、コミュニティとして育てていくことが、脳科学が今後もさらに魅力的な研究領域であり続けられるためには必要なのではないかと思います。
 学会の本来の使命は、会員の皆さんに魅力的な発表と交流の場を提供することです。従って毎年の国内学会の充実が今後も最重要課題です。日本神経科学学会は今から10年以上前に「完全英語化」を実行し、いろいろな批判は受けつつもその路線を堅持してきました。それによって、外国人の参加者も増加し、国際(的)学会としての地位を確立してきました。規模はやや小さいですが、水準としてはSfNやFENSに負けない質の高さを誇るようになってきたという声も聴きます。そういう中で次の方向として私の任期中に検討したいことは国際化、特にアジアの中での国際化です。現在、中国、韓国という我々の隣人たちが予想を超えるスピードで発展してきています。実はこの1年くらい、我々日本神経科学学会は、両国の神経科学学会からFENSのような合同大会を隔年持ち回りでやらないかという呼びかけを受けています。これによって、東アジアが欧米に次ぐ神経科学の第3極としての地位を確立し、それに伴い日本の神経科学大会への両国からの参加者数も増えて、我々も会員数、参加者数の頭打ちという状況を打破して新たな発展を遂げることができるかもしれません。研究面でも、東アジアで優れた共同研究者を見つける機会も増えるでしょう。政治的にはなかなか仲良くできない隣国との関係を我々神経科学者が努力して少しでも発展させることができれば、それはとても素晴らしいことだと思います。一方で、国内大会を休んでしまいますと、学会の財務状況が悪化してしまうという危惧があります。現在理事会では、本件について、そのメリットとデメリットを勘案してどのように対処すべきかの議論を開始しましたが、本件は学会の将来を左右する大変重要な問題ですので、会員の皆さんからも忌憚ないご意見をいただけましたら有り難く思います。宜しくお願いいたします。
 一方で、現代の学会の役割は、単に年次大会を開催してだけいれば良いというだけのものではなくなってきています。神経科学研究の面白さ、重要性を各方面に訴え、ステークホルダーや国民の皆さんによりよく理解していただき、それによって神経科学へのファンディングが増えるように努力する必要があります。しかし、これは神経科学学会単独ではとてもできないことです。そこで私たちは、神経科学関係の19学会が連合してコヒーレントヴォイスを発信するために4年前に日本脳科学関連学会連合を発足させました(現在は23学会加盟)。最近は、各学会を代表するようなメンバーで構成される連合の将来構想委員会で審議した内容が脳科学委員会で議論され、今後の脳科学の推進策の検討材料にされるという道筋ができてきており、学会連合の重要性が一層増してきています。この脳科学関連学会連合の活動が一般会員の皆さんの理解と支援を得て健全に発展していけるようにしていくことも私の会長としての責務であると考えています。
 さらに人材育成と会員のダイバーシティを尊重し、皆が活き活きとして研究をしていける環境作り。一方で科学研究における不正の防止とそのための啓発活動。動物実験や人間を直接対象とする研究の倫理に関して研究者側から責任をもって指針を発信していくこと。
 これらはいずれも学会の発展、社会との良好な関係を維持するために欠かせない課題です。こういった問題ひとつひとつに皆様の支援を得て取り組み、日本の神経科学研究に明るい未来が開けるように努力して参りたいと思います。
宜しくお願いいたします。

2017年1月  伊佐 正