知性は人間に与えられた特権?
国立精神・神経センター神経研究所疾病研究第七部
花川 隆
この度は、日本神経科学会奨励賞という名誉ある賞を頂き大変光栄に存じます。地道な研究の積み重ねを御評価頂いたことを感謝するとともに、今後の発展への期待が込められていることの意味を噛みしめ、新たな気持ちで研究に打ち込んでいく所存であります。
私は、学生時代に今で言うbrain-machine interfaceが実現されているSF小説の影響もあって「脳」に興味を持ち、大学卒業後は神経内科での臨床研修を選択しました。臨床研修中には、患者さんを師として学びながら、先達の綿密な観察により蓄積されてきた経験的知識の多くが科学的に説明できていないという事実に直面しました。臨床の現場では断片的にしか垣間見ることのできない脳の原理を、自らの力で少しでも明らかにしたいという思いから脳機能イメージングを用いた研究の道に入りました。その時にテーマの一つとして選んだのが、偶然手にした認知心理学の入門書で故・波多野誼余夫先生が解説されていた「そろばんの達人」が持つ高度の暗算能力の脳内機構の解明です。
そろばんの達人が暗算を行っている間には、身体運動を全く行っていないにも関わらず、高次運動制御に関わると考えられていた背側運動前野の一部が著明に活動していました。現在、前背側運動前野(pre-PMd)と呼ばれている領域です。当初、そろばん学習で獲得した運動による演算規則を仮想表象(心内そろばん)に応用する一種の運動想起が前背側運動前野の活動に関わっていると解釈しました。しかし、そろばん経験のない被験者の暗算でも同じ領域が活動することから、前背側運動前野の機能はそろばん暗算という特殊な例だけでなく、ヒトの認知能力一般に関わっているかもしれないと考えるようになりました。一連の研究から、前背側運動前野は言語、空間情報などの操作表象に関わらず活動を示し、この活動は従来言われていた内言語による賦活では説明できないことが判りました。米国に留学した後も同じテーマで研究を続け、前背側運動前野は運動効果器や運動の計画・実行段階に関わらず非特異的に活動する点で運動野よりむしろ認知領域のように見えるが、脳卒中後の回復に寄与するような運動機能も持つことが明らかになりました。帰国後、阿部十也博士との共同研究で、系列情報操作の素過程が前頭前野と前背側運動前野に分散して存在し、その統合に両領域間の連関が重要であることを示しました。以上の結果を総合すると、前背側運動前野は、前頭前野認知領域と運動実行領域、すなわち知的機能と運動機能を仲介するハブの役割をしていると考えることができます。
私にはもうひとつ大事にしている研究テーマがあります。それは二足歩行の中枢神経制御機構の解明です。今回のテーマとは無関係に見えますが、二足歩行の獲得はヒト進化の過程における大きな出来事であり、道具使用、言語や知性獲得の準備段階として位置づけることができます。事実、脳幹以下が重要な四足歩行と比較すると、霊長類の二足歩行では基底核大脳皮質回路の機能が重要であるという知見が集積しつつあります。大脳皮質と基底核の運動・認知領域の間には複雑な神経回路網が張り巡らされています。現在開発している統合的イメージング法を駆使して、これら神経回路網の構築と機能特性を解明することで、歩行から認知操作まで統一的に理解するような原理を見出すことが可能かもしれません。このような鳥瞰図的視点から、ヒト以外の動物も持つ運動能力の自然な延長として知性を考え、脳に刻まれた運動から知への「進化の痕跡」を辿ることで脳と知性の関係を理解することが大きな目標です。
受賞対象の研究は、ご推薦頂いた本田学部長といわば二人三脚で取り組み始めたテーマであり、喜びはひとしおです。最後になりましたが、臨床神経学と神経生理学の考え方の基本を教えて頂いた柴崎浩名誉教授、イメージングの基礎を教えて頂いた福山秀直教授、さらにこれまでお世話になった諸先生方に心よりお礼申し上げます。
【略歴】
1991年
京都大学医学部医学科卒業
京都大学医学部神経内科入局後、京大病院と天理よろづ相談所病院で5年間の臨床研修
1999年
京都大学大学院医学研究科博士課程早期修了
2000年
NINDS Intramural Competitive Fellowship Award
Clinical Fellow, National Institute of Neurological Disorders and Stroke, National Institutes of Health, USA
2003年
京都大学医学研究科助手
2005年
国立精神・神経センター神経研究所室長
【写真の説明】
国立精神・神経センター3テスラMRI研究施設。左から研究生・金子さん、流動研究員・小俣さん、筆者、研究生・設楽さん、研究生・細田さん。
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