このたび“一次知覚ニューロンにおけるBDNF発現調節と疼痛発生への影響”という研究テーマに対しまして、平成17年度日本神経科学学会奨励賞をいただきました。私は大学卒業後、整形外科研修医、医員としてのべ4年間、臨床医として勤務しておりました。なかでも脊椎外科を専門分野としておりましたが、レントゲンやMRIなどの画像所見と痛みの部位や程度が一致しない症例を経験し、“画像所見だけでは痛みを予測することは難しいのではないか?痛みの発現には画像にあらわれてこない何か他の因子が隠れているのではないか?”という疑問を抱いていました。具体的には、MRIで椎間板ヘルニアによる脊髄神経根の圧迫が見られても無症状の症例や、レントゲン上では腰椎すべりや不安定性が高度であっても腰痛を訴えない症例などがそのよい例だと思います。またその一方で、脊髄損傷に対する治療の一つとして神経栄養因子を用いた神経再生というテーマにも興味がありました。大学院に入学し、兵庫医科大学解剖学第2講座に配属となったのですが、そこで“脊髄後根神経節(DRG)における神経栄養因子と痛み”という、願ってもない研究テーマを野口光一教授より与えていただきました。その当時、神経栄養因子のひとつであるbrain derived neurotrophic factor(BDNF)は文字通り、神経細胞を保護し、神経再生に重要な役割を果たすことはよく知られていましたが、それと同時に痛みの発症メカニズムにも関与することが分かり始めていました。前任者である大阪大学医学部整形外科の辻野宏明先生のご指導のもと、ラット腰椎椎間板ヘルニアモデルを用いて、ヘルニア周囲の炎症がDRGにおけるBDNFの発現を増加させ、痛みの発生に影響を及ぼしていることを見いだしました。
一方、mitogen-activated protein kinase (MAPK) をはじめとする細胞内情報伝達系の活性化は、蛋白質のリン酸化といった早期における神経系の可塑的変化だけではなく、遺伝子発現レベルでの制御といったlong termにおける可塑的変化にも重要な役割を果たすと考えられています。我々はまずDRGにおけるBDNF発現にextracellular signal-regulated kinase(ERK)のリン酸化が必要であることを明らかにしました。すなわち、慢性炎症モデルや坐骨神経の切断モデルでは、DRGニューロンにおいてERKが活性化することでBDNFの発現を調節しており、これが慢性疼痛の病態に関与しているというものでした。さらに神経因性疼痛モデルを用いた実験では、傷害DRGニューロンにおいては、ERK、p38 MAPK、及びc-Jun N-terminal kinase (JNK) の活性化がみられるのに対して、非傷害DRGニューロンにおいてはp38 MAPKのみ活性化されることを見いだしました。そしてこの非傷害DRGニューロンにおけるp38 MAPKの活性化はBDNFの発現上昇を介した熱性痛覚過敏に深く関与していることが分かりました。これらの事実は、DRGニューロンにおけるBDNFは様々な病的状況下において、異なった細胞内シグナル伝達によってその発現を調節されており、この発現変化が疼痛発生に影響を及ぼしていることを示唆しています。
一次知覚ニューロンにおけるBDNFの発現を制御する細胞内シグナル伝達を解明することや、それらを誘起させる因子を同定することは慢性痛の病態のメカニズムだけではなく、感覚神経再生のメカニズムを知るうえでも重要な意味を持ちます。神経栄養因子は諸刃の刃であることを考えると、今後はその神経再生作用を抑えることなく、痛みをコントロールする戦略が必要になってくると思われます。痛みの発症メカニズムは非常に複雑であり、神経栄養因子だけでは説明が付かないことが多いのも事実です。しかしながら、この数年間で様々な動物モデルを用いてDRGや脊髄後角における蛋白あるいは遺伝子発現レベルでの変化が次々と報告されるようになりました。さらに遺伝子操作を用いたノックアウトマウスの解析などより、一次知覚ニューロンに特異的に発現するタンパク質、受容体などに関しての新しい知見が得られつつあります。今回の受賞を励みとしまして、慢性痛のメカニズム解明に向け、そしてそれが実際に臨床の場で使用できる治療薬の開発につながるよう、なお一層の精進に努めていきたいと考えております。最後になりますが、直接ご指導をいただきました兵庫医科大学解剖学第2講座の野口光一教授に心からお礼申し上げます。
第11回世界疼痛学会(Sydney, Australia, 2005)にて。(筆者は右から二番目)。
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【略歴】
1996年
大阪大学医学部医学科卒業
大阪大学医学部整形外科学教室に入局し、以後、整形外科研修医・医員として大阪大学医学部附属病院や関西労災病院などにのべ4年間勤務
2000年
大阪大学大学院医学系研究科博士課程入学
2003年
兵庫医科大学解剖学第2講座助手
2005年
大阪大学大学院医学系研究科博士課程卒業
兵庫医科大学解剖学第2講座講師