道 標(どうひょう、みちしるべ):第3回 貴邑 冨久子先生

第3回 道標~迷った時の道しるべ~ は、貴邑 冨久子先生です。

 

「道標」~迷った時の道しるべ~

    
日本神経科学学会名誉会員
横浜市立大学医学部元教授

貴邑 冨久子 先生

 
 
Q: 研究を始めたきっかけは、何でしたか?

 恩師、川上正澄先生にお会いしたことです。

 川上先生は、私が横浜市立大学医学部専門課程1年生の終わり頃(1960年)、新しく医学部に設置された第2生理学教室の教授として、UCLA脳研究所への留学を終えて着任され、すぐに講義を始められました。大きな黒板に、学生に、脳幹網様体賦活系の図を描かせ、何回も、意識というものがどのようにコントロールされるのかという講義をされたのを、今でも鮮明に覚えています。私たち学生は、ちょうど20歳のころで、「脳」というものに初めて接したことでした。
 学生たちの何人かは、すぐに川上先生の脳の研究に興味をひかれて、設備が殆どない研究室に入り浸り、シールドルームを手作りし、NIHの助成で導入されたヒト用の大きな脳波計でウサギの脳波の昼夜を問わない記録に邁進しました。でも私は、頻繁に教室に行って川上先生がすすめて下さるお茶はいただきましたが、すぐに研究の手伝いをするまでには至らず、ウサギの脳への電極の定位植え込み手術や、卵巣摘除してエストロジェンやプロジェステロンを投与して脳波を記録する実験などを眺めていました。これらの性ステロイドホルモンの投与は、卵巣摘除ウサギの逆説睡眠(今でいうREM睡眠)の量を増やす、という研究が行われていたのです。後になって、川上先生は、世界で初めて性ステロイドホルモンが脳機能に影響を与えることを示す実験をしていたのだということを知り、また、欧州の研究者が切り開いていた神経内分泌学の一旦を支えることになっていたことを知りました。

 私は、医学部を卒業して1年間のインターンを終え、医師国家試験を受けて医師の資格を得てから、さて、何科の医者になろうかと考え、何科を選んでもきっと学位をとることになるのだろう、それなら、厳しい研究生活になるかもしれないが、おもしろそうな、そして先端的な研究で、との考えから、ちょうど発足した医学部大学院に入学し、第2生理学教室でのあこがれの「脳」の研究を開始しました。それは、単なる脳波の記録ではなく、脳内、特に辺縁系—視床下部系内の1点を刺激して、関連部位で記録される電位、誘発電気活動evoked potentialを記録する実験で、それがエストロジェンやプロジェステロンでどのような影響を受けるかというテーマでした。そのためでしょうが、この後の研究も、電気生理学が基本になり、またキーワードは性ステロイドホルモンになりました。

Q:研究をしていた頃に大きな壁というものは有りましたか? また、大きな壁と感じたものは、何でしたか? それをどのようにして乗り越えられましたか?

 ご質問の「大きな壁」とは、もちろん、研究上のものを意味すると思いますが、その意味では、横浜市大で約40年間の研究生活を送りましたが、研究上の大きな壁、というようなものは無かったと思います。

 それよりも、大学院の4年生の頃に、すでに結婚し、一子も得ていた夫が癌で急逝し、さて、これで、のほほんと研究生活を続けていいものかという不安、言ってみれば、「人生上の壁」と言えるものがあったと思います。でも、幸い、医師免許証を持っていたことから、すでに終わっていた研究を論文としてまとめてから臨床家になればよいと考え、しばらく第2生理学教室での研究を続けることにしました。そして、結果的には、学位取得後も、当時の無給副手になり、有給副手、助手、講師となり、そしてアメリカ留学をも経て、最後まで研究を続けることになりました。

 この「人生上の壁」については、もう少し触れさせていただきたく思います。現在は少しマシになっているかもしれませんが、私が大学院に入学した約50年前には、女性が大学医学部で研究を行うことは、ともすれば男性の居場所を邪魔するというような雰囲気がありましたので、私は、研究はおもしろいので、こつこつと頑張ってやり、論文として発表をしていましたが、大学に居続けることはできないと考えていました。将来は、どこか研究所などで(申し訳ありません)、偉くはならなくても良いから、研究生活を送ることはできないかと考え、川上先生には行き先を頼んだりしていました。これに対して川上先生は、頑張っていれば女性が教授になれる時代が来るかもしれないと言ってくださり、また、先輩の研究仲間の男性は、日本の大学を離れて、外国の大学の管理や研究のシステムを知ることが、きっと将来役にたつと留学を強く勧めてくれました。そして、1975年、ポスドクとしてテキサス大学に留学しました。この先輩研究者の勧めが、ふらついていた私に、とにかく研究、という選択をさせてくれたと思います。

 留学先のボスであるSM McCann 教授はまことに陽気で太っ腹のアメリカ人で、大きな声で、私はテキサンだといつも言っていました。ノーベル賞をとるかもしれないといわれていた有名人でした。そこで、ふんだんな研究費のもと、なんの束縛も無い自由な研究の楽しさを味わわせてもらいました。そして、アメリカでの一人暮らしも本当に楽しいものでしたので2年間は滞在したいと思っていましたが、第2生理学教室から、川上先生の元気がないので、1年で切り上げるようにとの連絡が届き、泣く泣く帰国することになりました。

 ただし、帰国後は、私が興味を抱くようになっていた神経内分泌学のテーマは、川上先生のものとは相容れず、私は川上先生からは独立した研究者として、自分のテーマをもって研究を続けたいと熱望するようになっていました。しかし、こうなると自由になる研究費が必要でしたが、研究費は川上先生が全て掌握していましたので苦労することになりました。講座研究費はもちろんのこと、川上先生はかたくなな方針で論文の筆頭著者は常に川上正澄にすることを強要していたため、教授以外の私たちが文科省の科学研究費を獲得することが殆ど不可能だったからです。これは、全ての教室員について言えることでした。これが研究上の大きな壁といえるかもしれないことでした。
 したがって、留学前の、近代化した研究環境について無知だった頃とはちがい、川上先生との関係はあまり良いものとはいえませんでした。でも、私は、臨床や外部から来た大学院生などの学位取得のための研究の面倒を率先してみることにしました。そうすることで、その研究課題に自分の興味を盛り込み、しかも研究費も使いやすくなるというメリットがありました。こうして、学位論文は彼らの名前で、そして英文論文は私が筆頭で、という方策で、独立を果たしました。この時期は、生殖に関するLH、FSHなどのホルモンの代わりに、ACTH (代替としてのcorticosterone)、PRL、GHなどのホルモンに対象をシフトし、それでも楽しく、面白いデータを得て、論文もきちんと書いていました。

教授になった時の学会発表

 でも、何と言うことか、1982年12月、川上先生は61歳という若さで、癌で急逝されてしまいました。その時、私は助教授にはなっていましたが、後継の教授選という荒波にもろに巻き込まれ、通常は1年で決着がつくものが,「女なんか教授に出来るか」という(本当に、そう言われたのです)横浜市大医学部男性教授達に2年間ももみくちゃにされたあげく、それでも応援してくださる男性教授達もいて、1985年4月、何とか教授になりました。
 教授になった後は、川上先生から独立するために離れていた「生殖機能」の神経内分泌学に晴れて戻り、後で述べるような多ニューロン発射活動multiunit activity (MUA) 記録に素晴らしい腕をもったテクニシャンにも恵まれ、楽しい研究生活を送ることができました。

Q:先生にとって「これがターニングポイント」だったと思われる出来事は何ですか?

 川上先生の下での研究は、先生がUCLA脳研究所で当時もっぱら用いられていたウサギを実験動物としての、それも電気生理学でした。エストロジェンなどの性ステロイドホルモンが脳機能に影響を与えることを電気生理学的手法で明らかにしていくものでしたが、当時、欧米で勃興した神経内分泌学は、エストロジェンは下垂体前葉ホルモンである性腺刺激ホルモンの分泌にも影響をあたえることを明らかにしていました。
 そこで、大学院を終えて新しく研究を開始しつつあった私は、第2生理学教室からアメリカに渡り、ウイスコンシン大学教授として現在も研究を続けている女性研究者、寺沢瑩先生とともに、実験動物をラットに切り替えていきました。同時に、放医研でラット下垂体前葉ホルモンのRIAを日本で初めて確立していた若林克巳先生に技術を習い、第2生理学教室の研究方法にLH、FSHその他前葉ホルモンの測定手段を導入しました。この技術が、性ステロイドホルモンがどのような機序で性腺刺激ホルモンの分泌を引き起こし、排卵を惹起するのかという神経内分泌学を格段に進展させてくれたと思っています。
 ただし、こうして得たホルモンの測定法とともに、川上先生が基礎を築いた電気生理学を併用することがメリットとなり、私たちの神経内分泌学をさらに進展させてくれました。それは、MUA記録による電気生理学です。アメリカのピッツバーグ大のE Knobil教授は雌性アカゲサルで、LHの1時間周期のパルス状分泌と視床下部弓状核のMUAの活動上昇(volley, ボレー)が完全に同期することを見つけ、その他の証拠も併せて、弓状核に在るLHRHニューロンがこのような電気活動とともにLHRHを放出することを示しました。このMUAボレーの研究は、川上先生の代で2名の、私の代になって1名の研究者がKnobil教授のもとに参集して確立/発展され、その結果、第2生理学教室にもMUA記録の技術を導入できました。卵巣摘除雌性ラットでは前葉からのLH分泌は20分周期でパルス状に起こりますが、こうしたラットにおけるMUA記録と同時に血中LH濃度の測定のために数分ごとに血液を採取する技術もラットで確立することが出来ました。それは、私がしばしば「MUAの女神さま」と呼んでいたMUA記録用の電極を適格にラット視床下部弓状核に植え込むことのできるきわめて腕のよいテクニシャンのおかげであって、今でも彼女には感謝しているところです。余談ではありますが、彼女は大学の技術吏員であって研究職ではありませんが、幾つかの試験を受けてもらって、博士号をとってもらいました。

第23 回日本神経科学学会会長を務めた時、第10 回日本神経回路学会の大会長 斎藤秀昭先生と共に

 この後、世界的にも珍しいラットのMUA 記録とLH 分泌に関する沢山のデータと論文を得ることになりましたが、この視床下部弓状核のMUA を私たちはLHRHパルス発生器LHRH pulse generator)の電気活動と考え、排卵性のLHRH を分泌させるLHRH サージ発生器(LHRH surge generator)とは独立した神経機構であるという仮説をたてることができました。そして、雄性ラットの視床下部には排卵性のサージ状LHRH 分泌機構が存在しないことから、その他の証拠も併せ、この性差は、胎生期に起こる視床下部下部の性分化のためであることを主張してきました。
 
 
Q:先生がやって来られた分野で、未だやり残されていることは何ですか?

 ラットにおいては、視床下部弓状核とエストロジェンやテストステロンとの関わり方を検討することで、とくに雌性動物の排卵機構、そして雄性動物におけるこの機構の欠如を明らかにしました。これは、弓状核の構造と機能における性差を明らかにしたことになると思っています。また、その間にも、弓状核以外の視床下部諸神経核、たとえば、性欲、食欲などの本能や、恐れ、不快などの情動に関わる前視床下部間質核、視床下部外側野、分界状床核などが雄性ラットで大きい-神経細胞数が多い-という構造上の性差が次々と明らかにされていましたが、私たちは、これらの神経核の機能上に見られる性差が、これらの部位の性ステロイドホルモンとの関わりにより発現することも明らかにしてきました。構造上、機能上の性差は、これらの脳部位が高濃度にエストロジェン受容体あるいはテストステロン受容体をもっているために起こった性分化に関係していることも推測されました。
 辺縁系と称される扁桃体や海馬の、それぞれ、情動や記憶に関わる機能にも、脳幹部諸核に在るエストロジェンやテストステロン受容体を持つドーパミン細胞、セロトニン細胞やアセチルコリン細胞などからの神経伝達物質を介して性差が発現する可能性も明らかにしてきました。脳幹部諸核には、やはり性分化が起こっていることが明らかにされてきています。

 これらの知識をもとに、私は、視床下部諸核と脳幹部諸核を含めて「古い脳」と呼ぶことにしました。この脳部は、広い意味での脳幹(間脳および中脳、橋、延髄などの狭義の脳幹)にあたります。これに対して、大脳皮質(特に新皮質神経細胞のあるところ)、大脳基底核、大脳髄質を、私は「新しい脳」と呼ぶことにしました。大脳皮質には新皮質以外に古皮質と旧皮質がありますが、機能上の根拠から、古皮質の海馬は新しい脳に、旧皮質の扁桃体は古い脳に含めています。

貴邑先生が提唱する「新しい男女脳」出生時に決まっている先天的性差と出生後に養育環境や教育といった社会的、文化的影響を受けて出来上がる後天的性差があることが示唆された。

 そして、さらに私は、古い脳にはセックス(生得的性)、新しい脳にはジェンダー(社会的/文化的性)と呼ぶことができる性差が存在する、という仮説を提唱してきました。
 「古い脳」の諸核の機能における性差は、形態学者たちが明らかにしてきた構造上、つまり先に述べた神経細胞数の性差と相関しています。構造の性差は、主に出生前に、遺伝子的に出来上がることが明らかにされている生得的性差ですので、セックスと呼ぶことができると考えています。
 
 
 
 一方、近年の神経科学は、「新しい脳」の各部の構造、つまりシナプスの種類と数は、出生後に曝露される環境からの感覚刺激の種類と頻度に依存して異なることを示してきています。つまり、出生時には明らかな性差はなく、出生後に、養育・教育といった社会・文化の影響を受けて性差が作られて行くことが示唆されてきていることから、私はジェンダーと呼んでいるのです。
 この新しい脳につくられるジェンダーに関する研究で、定年までに私の研究室で唯一得ることのできた成果は、雌雄ラットの離乳後の飼育を、通常の研究室で使われている固い餌(固形餌)ではなく、固形餌を粉状にした柔らかい餌(粉状餌)で行うと、成熟後の迷路学習において、雌性ラットの成績が上昇し、雄性ラットと同等になるというものでした (Eur J Physiol), 1994)。それまで、固い固形餌で飼育されている世界中の雌性ラットは、雄性ラットよりも学習能力が低いことから、当然のごとく、雄性ラットが雌性ラットより生得的に高い認知能力をもつという性差のあると考えられてきていました。そして、それは、科学的な根拠なしに信じられてきた、ヒトの認知能力に男性優位な性差があるという神話の裏打ちとして採用されてきていたのでした。しかし、新しい脳が司る認知機能が、生後の養育環境の如何によって柔軟に変わりうるというラットでの実験結果を得て、私は胸がおどりました。世界中の研究室の雌性ラットが,固い餌を粉にして柔らかくした餌で育てられるようになったら、雌性ラットはどんな素晴らしい能力を発揮するようになるだろう、という夢をみました。
 この研究の続きは、私自身は定年退職のために行う事ができませんでしたが、研究室に残った若い人たちが、認知能力の性差が生後の飼育環境に依存することを支持する一連の成果を得て、発表してくれました。ただ付け加えますと、とても残念な事に、これらの成績は、少なくとも日本の、そして男性の研究者たちには納得されなかったようで、ある種の排斥を受けていることが伝わってきました。欧米でも似た状況は指摘されていて、この種の性差に関する研究は、計画,実行、解析、解釈その他が全て男女の研究者によって成されなければ、男女に公平な研究とはならないと考えられるようになっています。したがって、この領域の研究の発展には、女性研究者の増加が必須で、これらの条件に理解をもつ男女の研究者によってのみ遂行可能となるのだろうと考え、夢を将来に託すことにしました。
 とはいえ、大変嬉しいことに、その後あまり遠くない時に、世界的には志を同じくする研究者が現れて, 2000年以降の世界中の男子と女子の数学成績に男女で差がなかった, というデータを発表してくれました(Kane JM et al, Notices of the AMS, 2012)。その結果からの著者らの主張は、「男女平等が進めば進むほど数学能力の男女差が消失していく」ということで、これによって新皮質が関係するヒトの数学能力にも, 従来言われてきているような、生得的な生物学的差が存在しないことが示されたことになりました。私がやり残した研究は、ジェンダーとは、出生後に男女が異なる環境で養育・教育されたり、社会で取り扱われたりすることで新皮質に出来上がる構造と機能の違いであることを、より端的に証明することでしたが、この報告が、まだ完璧にとは言えませんが、かなり強い傍証となってくれたといえるのです。あとは将来に渡って、先に述べたような男女で公平な実験が重ねられて行ってほしいと希望するだけです。

Q:人を育てている時に「これが一番大切だ」と思う事は何ですか?

 このような場で「これが一番大切だ」というようなことは、おこがましくて言えません。でも、これまでを振り返ってみると、人を育てている時の、どの場面にも、基本には「愛情」があったように思います

 
Q:最後に、これから研究を進めて行く人達へのメッセージをお願い致します。
 「事実は小説より奇なり」これが私のメッセージです。頭の良い人は、テーマを与えられても、実験する前に結果を考えすぎて、つまらなそうだ、と手を動かさない。でも、自然の摂理というものは、人智では思いもつかない、ということを知るべきです。まず、こつこつとやってみましょう。

これから何が待っているのか分からない。ただ考え込んで立ち止まっているよりも、夢に向かって飛び出した方が、思いもかけない面白い事に遭遇するかもしれないのだ。