時差消失マウスの開発による時差の神経分子シグナルの研究

時差消失マウスの開発による時差の神経分子シグナルの研究

京都大学大学院薬学研究科 システムバイオロジー分野
山口 賀章

 この度は平成26年度日本神経科学学会奨励賞を頂くことになり、大変光栄に感じつつも身の引き締まり思いをしております。私は、京都大学大学院生命科学研究科 根岸学先生のもとで三量体Gタンパク質G12ファミリーのシグナル伝達機構の研究を行い、米国ソーク研究所 Edward M. Callaway Labにて動物個体の神経細胞を可逆的に抑制する手法を開発しました。その後、京都大学大学院薬学研究科 岡村均先生のもとで、今回の受賞対象である概日時計システムと時差の研究を始めました (Science, 342: 85-90, 2013)。
 ホルモン分泌や体温・血圧の変動など、多くの生理現象が約24時間周期のリズムを示すことは良く知られています。このような私達の体が示す概日リズム (circadian rhythm) は、中枢時計である脳の視交叉上核 (suprachiasmatic nucleus: SCN) が自律的に駆動するものです。私達が自身の体内時計を実感するのは、欧米等へ海外渡航をして不眠や胃腸障害など、いわゆる時差ボケに悩まされた時ではないでしょうか?ジェット機旅行により環境の明暗リズムの位相は瞬時に変動しますが、自身の体内時計は直ちに渡航先の現地時間にリセットされず、外界時計と体内時計の時刻位相が乖離してしまうため、時差ボケは生じます。しかし、意外に思われるかもしれませんが、なぜ時差ボケが生じるか、その分子神経機構は実のところほとんど解明されていませんでした。そこで私達は中枢時計のSCNにその実態があると考え、in situ hybridizationや免疫組織化学によりSCNでリズミックに発現している遺伝子を同定し、それらの遺伝子改変マウスを作製して時差環境下における行動リズムを測定しました。その結果、Arginine vasopressin (AVP) の受容体であるV1aとV1bを時差の候補分子として得ました。AVPはSCNの主要なペプチドであり、AVP細胞群は自身の受容体を介してAVP細胞間でSCN内局所神経を形成することがわかっていました。しかしながら、このAVP局所神経回路の概日生理機能はながらく不明でした。そこで私達は、V1aとV1b受容体を共に欠損したダブルノックアウトマウス(V1aV1bDKOマウス)を作製し、マウスを飼育する明暗環境を8時間早めるという時差実験を行いました。野生型マウスでは、時差の後で新しい明暗環境に再同調するのに10日程度を要しましたが、V1aV1bDKOマウスでは瞬時に再同調しました。また、時計遺伝子は概日リズム形成の分子基盤であり、その発現量は明瞭な日周リズムを示しますが、野生型マウスのSCNにおいて、時差を起こした直後はそのリズム性が消失し、リズムの回復には8日を要しました。一方で、V1aV1bDKOマウスのSCNにおいては、時差後3日目と非常に早く時差前と同様の明瞭な日周リズムが観察されました。では、なぜ V1aV1bDKOマウスは時差に瞬時に再同調できるのでしょうか?レポーターマウスのSCN切片培養を用いて、数百個に及ぶSCN神経細胞の個々のリズムをリアルタイム計測したところ、このAVP神経結合が正常であるとSCNは外界からのリズム撹乱因子の存在下であっても、各SCN神経細胞がオリジナルのリズム位相を維持できることがわかりました。一方で、AVP神経結合が欠損したV1aV1bDKOマウスのSCNでは、各神経細胞の秩序だったリズム位相パターンは、リズム撹乱因子の存在下では維持されませんでした。従って、野生型マウスでは時差により外界の明暗リズムが急激に変化した場合でも、AVP細胞間には強固な神経結合が存在するため時差前の体内時計の位相を維持できますが(そのため時差に容易には再同調できない)、V1aV1bDKOマウスの場合ではAVP細胞は元の位相を維持する神経結合が脆弱であるため、時差前の体内時計の位相を維持できず、結果として新明暗周期に素早く再同調するのだと考えられます。
 今後も今回の奨励賞受賞を励みに、概日時計システムの分子神経機構の解明を目指していきたいと思います。

写真の説明
筆者近影。レーザーマイクロダイセクション機と共に。

受賞研究内容を議論する総説(Neuroscience Research掲載)
Yamaguchi, Y., 2017. Arginine vasopressin signaling in the suprachiasmatic nucleus on the resilience of circadian clock to jet lag. Neruosci. Res. 129, 57-61
略歴  1999年 京都大学薬学部薬学科 卒業
2001年 京都大学大学院生命科学研究科 修士課程 修了
2004年 京都大学大学院生命科学研究科 博士後期課程 修了
(日本学術振興会特別研究員DC1)
2004年 日本学術振興会海外特別研究員(米国ソーク研究所にて)
2006年 米国ソーク研究所 博士研究員
2007年 京都大学大学院薬学研究科 助教
現在に至る