状況に応じた柔軟な情報処理を可能にする脳神経回路

カリフォルニア大学サンディエゴ校 医学部
加藤 紘之

 この度は日本神経科学学会奨励賞という素晴らしい賞を賜り光栄に存じます。選考に関わった先生方、ならびにこれまでご指導いただいた多くの先生方にこの場を借りて感謝申し上げます。

 私たちは、生活の中で常に五感からの膨大な情報量の感覚入力にさらされています。しかしながら、脳はそのすべての感覚入力を等しく処理しているわけではなく、状況に応じて必要な情報だけを選択的に利用することで効率的な行動を可能としています。たとえば、幹線道路の近くに住んでいる人にとって、車の走行音は常に流れている不必要な音であるため、慣れとともに意識にすらのぼらなくなります。しかし、そうした人でも、迎えの車を待っている時など、注意を払っていれば容易に車の音に気づくことができます。このような状況・経験に応じた柔軟な情報処理は心理学的には古くから存在が知られていたものの、実際に脳のどのような神経回路によって実現されているのかは明らかとなっていませんでした。
 今回受賞対象となりましたのは、このような柔軟な情報処理の実体を明らかにすることを目的として、経験・状況に応じた神経活動の可塑性を実際に生きたマウスの脳内において観測した、UCSDのJeffry Isaacson研究室における成果です。同大学の小宮山尚樹研究室との共同研究による二光子励起顕微鏡を用いた生体内カルシウムイメージングの技法は、数百もの神経細胞の活動を最長3ヶ月という長期間にわたり生きた脳の中で観察することを可能にしました。この実験系を用いて私たちは嗅球および大脳一次聴覚野を研究し、①神経細胞の感覚応答は覚醒時において睡眠時よりも刺激への選択性が高まること、②感覚入力を繰り返し経験することで神経細胞の感覚応答は日を追って低下(馴化)すること、③馴化の後であっても、マウスが感覚入力に注意を払っている際には神経細胞の感覚応答が上昇すること、などの発見をすることができました。さらに、遺伝学的なツールを用いて神経回路の構成要素を切り分けて観測した結果、これらの可塑性の背後には、抑制性神経細胞による神経回路出力の柔軟な調節が存在することが示唆されました。
 この結果は、大人になった後の脳は単純な感覚経験だけでは可塑性を起こさないとされてきた従来の生理学実験の報告とは異なり、今まで知られていなかった脳の柔軟性を明らかにしました。これは、我々の意識にのぼる感覚情報処理の柔軟性を説明しうる、神経回路的な基盤であると考えられます。生きた脳を観察してこのような動態を明らかにすることは、神経回路の作動原理の理解につながるのみでなく、自閉症やADHDなど注意障害をともなう精神疾患への理解をも進めるものと期待して研究を行っております。

 私の一連の研究は、多くの先生方のこれまでのご指導、ご支援なしには成しえませんでした。中でも、5年間以上にわたり自由に研究できる環境を与えていただいたUCSDのJeffry Isaacson先生には心よりお礼申し上げます。少人数の研究室で毎日のようにディスカッションを繰り返しながら新しい実験系を立ち上げたことは真に得がたい経験でした。また、東京大学において卒業研究から修士課程にわたり分子生物学や研究への姿勢を教えていただいた坂野仁先生(現・福井大学)と坪井昭夫先生(現・奈良県立医科大学)、博士課程において生理学を基礎から教えていただいた真鍋俊也先生と渡部文子先生(現・東京慈恵会医科大学)のご指導にも感謝いたします。現在取り組んでいる生体内イメージングの技法も、日本で学んだ分子生物学や生理学の基礎があってこそ習得できたものと思います。生体内イメージングの技法を教えて頂いた小宮山尚樹先生と、5年間にわたりジョイントラボのPIとして多くのアドバイスを頂いたMassimo Scanziani先生(現・UCSF)にも深く感謝いたします。
 最後になりますが、私は2017年の1月より米国ノースカロライナ大学Neuroscience Centerにて独立して研究を開始する予定です。受賞対象のテーマであった大脳一次聴覚野の研究に引きつづき、今後は、より高次の聴覚野をも含めた大きなネットワークがいかに音の情報を抽出するのか追求していきたいと考えております。今後とも神経科学学会の皆様のご指導どうぞよろしくお願いいたします。

略歴
2002年 東京大学 理学部 卒業
2004年 東京大学大学院 理学系研究科 修士課程 修了
2008年 東京大学大学院 医学系研究科 博士課程 修了
2008 – 2010 東京大学大学院医学系研究科 博士研究員
2010 – 2013 カリフォルニア大学サンディエゴ校 医学部 博士研究員
2013 – 現在 カリフォルニア大学サンディエゴ校 医学部 Assistant Project Scientist
2014 – 2015 日本学術振興会 海外特別研究員


<写真の説明>「本人(加藤紘之)」