嗅覚情報処理を支える神経回路の形成基盤

東京大学 大学院薬学系研究科 薬品作用学教室 竹内 春樹

 この度は、このような名誉ある賞を頂き、大変うれしく光栄に存じます。選考委員ならびに学会関係の先生方には心より御礼申し上げます。また、これまで研究活動を支えてくださった数多くの先生方、共同研究者の方々、苦楽を共にした仲間に深く感謝したいと思います。

 私は、これまで一貫して神経回路の形成メカニズムに関する研究を行ってまいりました。脳に存在する神経回路は、我々の高度な情報処理を支える基盤となっており、その形成異常は重篤な精神・神経疾患の原因となることがわかっています。従って、神経回路の形成原理を明らかにすることは、神経科学における重要な課題の一つであると考えられています。個々の神経細胞は発生の過程で自らが将来担う機能的役割に従って神経個性を獲得し、それに基づいて軸索を伸長させます。つまり、細胞が獲得した神経個性がどのようにして軸索末端に表現されるのか、これこそが回路形成原理の理解における課題であると考えられます。上記の課題に対し、私はマウス嗅覚系の構造的特性に着目し研究を進めてまいりました。

 嗅覚系の分野は、1991年の嗅覚受容体遺伝子のクローニング(ノーベル医学生理学賞受賞)以降、分子生物学的な手法が導入され飛躍的な進展を遂げました。マウスの嗅覚系では、匂い受容を担う嗅覚受容体遺伝子はゲノム中に約1000種類存在し、個々の嗅神経ではその中からたった一種類のみが発現し、細胞の神経個性を規定します。そして同一の嗅覚受容体を発現した嗅神経の軸索は、発生の過程で互いに収斂し嗅球の特定の一対の糸球体へと投射します。これにより、投射先である嗅球上には受容体の数に対応する糸球体からなる二次元上の糸球マップが形成されます。嗅神経の軸索投射様式は、嗅球上における軸索のおおまかな投射位置決定の過程(背腹軸、前後軸)と、同種の嗅覚受容体を発現する軸索を束ねる軸索収斂の過程に分けて考えられます。私はこれらすべての過程においてその分子機構の解明に取り組み、機能分子群の同定と作用機構を明らかにしてまいりました(Cell, 2006, 2010, 2013)。一連の研究成果は、教科書などに記載されていない新しいメカニズムも含まれていることから、神経回路形成の基本原理の理解に向けて何らかの貢献を果たすことが出来たのではないかと思っております。

 嗅覚受容体遺伝子の発見から25年、これまでの数多くの研究成果によって一次嗅覚系の神経回路形成原理の概要は明らかとなりました。これにより遺伝子学的手法を駆使することで嗅覚神経回路を操作する、つまり嗅覚からの情報入力を自在に制御することが実験的に可能になりつつあります。嗅覚は、他の感覚系とは異なり視床を介さず直接記憶や情動などを制御する大脳辺縁系へと情報を伝達すること、また嗅覚能力の低下はアルツハイマーなどの認知症の関連が指摘されていることから、嗅覚情報処理機構の理解は、基礎、応用の両方の観点からその重要性が一層高まることが予想されます。今後は、神経回路操作技術を駆使しながら嗅覚入力に基づく脳の作動原理の理解に向けて研究を進めていきたいと思っております。

 最後になりましたが、今回の受賞は、これまでご指導下さった先生方があってのことと思っております。その中でも、研究を行う上で何を解くかという問題設定の仕方、研究者としてのあるべき姿、研究の厳しさを叩き込んでくださった坂野仁先生、分野が異なる私を快く受け入れ、異なる視点から的確なアドバイスにより私の研究の視野を広げてくださった池谷裕二先生には心より感謝申し上げます。この奨励賞は、私にとって大いに励みとなりました。頂いた賞に恥じることのないよう今後一層努力を重ね、研究に邁進していく所存でございます。神経科学学会関係の皆様の変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

略歴
2004年 東京大学・理学部 卒業
2009年 東京大学・大学院理学系研究科 特任助教
2010年 東京大学・大学院理学系研究科 博士課程終了(Ph.D.)
2014年 福井大学・医学部高次脳機能領域 特命准教授
2015年 東京大学・大学院薬学系研究科 薬学部研究員(JSTさきがけ)