「海馬への異なる脳領域からの入力の機能と制御」

マックスプランク脳科学研究所
伊藤 博

この度は、日本神経科学学会奨励賞という名誉ある賞を頂き大変光栄に思います。学会関係者の方々に心より御礼申し上げます。

私の研究は、京都大学医学部の学生時代、中西重忠教授の研究室で勉強させていただいたことから始まります。分子生物学を中心とする研究手法はもとより、ラボミーティングでの厳しい議論、中西先生が語られる研究に関する様々なエピソードなどを通じて、研究者としての基礎、心構えを学ばせていただきました。また、森吉弘毅先生の指導の下、代謝型グルタミン酸受容体の分解がある特定のユビキチンリガーゼにより促進されるというデータを最初に得たときの興奮は今でも鮮明に覚えており、新しい発見をする研究の魅力にとりつかれました。

大学卒業後は、カリフォルニア工科大学のErin Schuman教授の研究室で大学院研究を行いました。ここでは海馬のスライスを用いて、シナプス伝達や可塑性を調べる研究をしました。この大学は、キャンパスが小さく、他の分野の人々と交流しやすいという利点がありました。特にシステム神経科学に興味を持っていた私は、工学・物理系の授業を受講したり、そうした分野の学生たちと議論したりする機会に恵まれました。このような交流の中から、スライス実験に工学のシステム解析でよく使われる周波数応答解析を応用できないかと考えました。軸索の束を一定の周波数だけでなく、様々な異なる周波数で刺激したらどうなるだろうか?さらに当時興味を持って調べていた神経調節物質、ドーパミンやノルアドレナリンなどが、こうした周波数応答にどのような変化を与えるだろうか?そういう発想で実験を進めた結果、ドーパミンは内側嗅内皮質から海馬へのシナプス入力の周波数応答はほとんど変化させず、外側嗅内皮質からの入力選択的にハイパスフィルター的な影響をもたらすことを見出しました。ドーパミンが海馬などを通じ学習・記憶などにかかわっていることは行動実験から知られていましたが、この研究によりドーパミンが外側嗅内皮質から海馬への入力を周波数依存的に変化させることで、何らかの情報選択的な役割を持ち得ることが示唆されました。
さらに神経回路の動物行動への影響をより深く調べてみたいと思っていた私は、大学院卒業後はノルウェーのEdvard Moser 教授とMay-Britt Moser教授の研究室で研究を始めました。ここでは、これまで解剖学的には知られていたが機能的には謎であった、海馬へ入力する視床ほぼ唯一の核、結合核の機能を調べました。大学院時代スライス実験をやりながら、いつも不思議に思っていた入力なので、行動動物中から記録されるデータ一つ一つが非常に興味深いものでした。Moser研究室は脳内空間表現の研究で有名ですが、結合核の神経細胞活動を記録してみると、場所細胞のような空間表現はなさそうだということで、当初は空間認知とは全く関係ない領域かと考えました。しかし、よく調べてみると、この核が空間表現以外の部分で空間探索問題に深く関わっていることが分かってきました。結合核は、動物が空間探索中に経路を選択する際に、これからの行動計画の情報を、動物が実際に行動を始める以前に海馬に送っていたのです。おそらくこの回路は、動物が未来の位置情報を推測するために必要なのではないかと考えられ、空間探索行動のための神経回路の解明へ向け新たな視点を提起しました。私は2016年よりマックスプランク脳科学研究所で研究室を主宰することになり、この問題をさらに深く追求しようと考えています。

最後になりますが、私の研究は、多くの先生方や共同研究者の方々のご指導とご支援の賜物です。またすばらしい同僚に恵まれ、たくさんの刺激を受けながら楽しく研究活動を行ってこれました。皆様に厚く御礼申し上げますと共に、今後とも精進していく所存です。

受賞研究内容を議論する総説(Neuroscience Research掲載)
Ito, H., 2017. Prefrontal–hippocampal interactions for spatial navigation. Neurosci. Res. In press

略歴
2003年      京都大学医学部卒業
2010年      カリフォルニア工科大学 PhD取得
2009-2015年   ノルウェー科学技術大学 Kavliシステム神経科学研究所研究員
2016年 -     マックスプランク脳科学研究所 リサーチグループリーダー
2016年 -     JSTさきがけ「生命機能メカニズム解明のための光操作技術」兼任研究者


筆者近影