この度は、日本神経科学学会奨励賞を賜り、まことに光栄であると同時に身の引き締まる思いです。お時間を割いて選考して下さった委員の先生方、学会関係者の皆様、そして、これまでの研究に関与して下さった全ての共同研究者、指導教員の先生方に心から感謝を申し上げます。
私が現在の研究を始めるに至った契機は、埼玉大学理学部生体制御学科の調節生理学実習で、雄の精巣除去による行動の変化を調べたことです。雄マウスは他の雄と一緒に飼うと、噛みついたり追いかけまわしたりといった攻撃行動をします。しかし、精巣の除去により雄性ホルモンのテストステロン産生能を失うと、集団で仲良く生活するようになります。私はこの様子を目の当たりにして衝撃を受け、このようなドラスティックな行動の変化を可能にするメカニズムに大きな興味を持ちました。すなわち、脳内の神経回路がどのように行動を制御するのか、またホルモンレベルの変化のような体内の生理的状態の変化が神経回路をどのように調節し行動を変化させるのか、知りたいと考えました。
進学した東京大学大学院医学系研究科の森憲作先生の研究室(当時)において、私は、覚醒-睡眠という生理的状態の変化が、嗅覚神経回路にどのような変化をもたらすのかを調べました。当時、森研究室の眞部寛之先生(現 同志社大学准教授)により発見された、嗅皮質から嗅球への投射神経回路で睡眠・休息時に特徴的に起こる入力に着目し、これが嗅球顆粒細胞の細胞死の誘導に重要な役割を果たすことを明らかにしました。顆粒細胞は生涯にわたって生まれ続け、その細胞死は嗅球神経回路の可塑的変化に重要と考えられています。本研究成果により覚醒-睡眠状態に応じて嗅覚神経回路を調節するメカニズムが明らかになりました(Komano-Inoue et al., Eur J Neurosci, 2014; Neurosci Lett, 2015)。次のステップとして、このような生理状態の変化に応じた神経回路の調節が行動制御に及ぼす機能について、ホルモンを軸に挑もうと、2014年よりカリフォルニア大学サンフランシスコ校(現スタンフォード大学)のShah研究室へと移りました。
マウスを含む多くの動物では、エストロゲンやプロゲステロンのような性ホルモンの血中レベルの変化に伴い、雌の性行動が変化します。性ホルモンレベルの高い発情期には、雌は雄を受け入れ性行動を行います。一方、性ホルモンレベルの低い非発情期には、雌は雄を拒否します。私は、このような行動変化をもたらす、性ホルモンレベルの変動による神経回路の調節機構を調べました。そして、性ホルモンが視床下部の特定の投射神経回路の接続を増加させ、これによりこの神経回路の活動が上昇すること、さらにこの活動が雌の性行動の発現に必要であることを見出しました(Inoue et al, Cell, 2019)。これにより、生理状態に伴う神経回路接続の可塑的変化が行動を出力するタイミングを決定する、という行動制御メカニズムを明らかにしました。性行動以外にも、性ホルモンレベルの変化に伴い摂食や不安行動などが変化するとわかっています。今後は、雌における様々な行動の制御メカニズムの普遍性や特異性に迫っていきたいと考えています。
これらの一連の研究では、多くの共同研究者の方々に大変お世話になりました。大学院においては、森憲作先生(現 東京大学名誉教授)と山口正洋先生(現 高知大学教授)に、熱心なご指導を頂き、サイエンスの基礎を叩き込んで頂きました。また、現在のメンターであるShah教授には、エキサイティングな議論を重ねて頂いただけでなく、ライフイベントの変化にも惜しみないサポートをして頂きました。これらの指導教員の先生方以外にも、多くの共同研究者の方々よりご助力を賜りました。感謝の気持ちでいっぱいです。そして、常に支えてくれる家族にも、この場を借りて感謝を申し上げさせて頂きます。今後とも、日本神経科学学会の諸先生方のご指導、ご鞭撻を賜りますよう、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
受賞研究内容に関する総説(Neuroscience Research掲載)
Inoue, S., 2022. Neural basis for estrous cycle-dependent control of female behaviors. Neurosci. Res. 176, 1-8
2007年 | 埼玉大学理学部生体制御学科 卒業 |
2009年 | 東京大学大学院医学系研究科医科学修士課程 修了 |
2013年 | 東京大学大学院医学系研究科医学博士課程 修了 |
2013年 | 日本学術振興会特別研究員PD |
2014年 | 東京大学大学院医学系研究科 特任研究員 |
2014年 | カリフォルニア大学サンフランシスコ校 博士研究員 |
2016年 | スタンフォード大学 博士研究員 |