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平成26年度時実利彦記念賞受賞者岡本仁先生
「脊椎動物脳の進化的保存を利用した情動制御機構の解明」

平成26年度時実利彦記念賞受賞者


「脊椎動物脳の進化的保存を利用した情動制御機構の解明」
理化学研究所脳科学総合研究センター副センター長
岡本仁

 このたび平成26年度時実利彦記念賞の受賞という望外の栄誉に預かりました。深く感謝いたします。
 私は、もともと神経発生メカニズムの研究につとめてきました。これから説明する手綱核と巡り会ったのも、神経発生的見地からの発見がきっかけでした(Aizawa et al, Current Biol., 2005; Devl. Cell, 2007)。2005年に、本学会現会長の田中啓治先生から、放送大学での神経科学の系統講義[注1]を一緒にしないかというお誘いを受けたことをきっかけに、講義の準備のために情動や意思決定の研究に関する脳科学の現状を学ぶ機会を得て、脊椎動物の脳の構造の進化的保存を利用して、このような心の動きを制御する神経回路の基本的作動原理を解明できるのではないかという考えに至りました[注2]。従って私自身、本格的に情動の研究を初めてから10年にも満たない新参者の研究者ではありますが、この場をお借りして、これまでの私達の研究や今後の展望を簡単に紹介させて頂きたいと思います。
 近年、ほ乳類の終脳の部位特異的な遺伝子が多く同定され,それらの発現パターンが、鳥類や魚類など様々な他の脊椎動物の脳でも保存されていることから、これらの動物の終脳でも、ほ乳類の海馬、扁桃体、大脳皮質、大脳基底核に相当すると思われる構造が存在することが明らかになってきました(図A)。
 私達のグループでは,このような仮説に触発され、情動行動,とりわけ手綱核とよばれる間脳の最も背中側にある小さな神経核が関わる神経回路(図B)の機能の解明を目指して、ゼブラフィッシュ成魚とマウスに遺伝子操作技術やイメージング技術を適用して研究をおこなってきました。
 ほ乳類の内側と外側の手綱核は、ゼブラフィッシュの背側と腹側の手綱核に相当します(図C, D, E)。私達は、背側手綱核外側亜核から、背側脚間核への神経伝達を特異的に遮断したゼブラフィッシュでは、古典的恐怖条件学習の後での条件刺激に対する応答が、野生型のゼブラフィッシュに見られるランダムな逃避行動の亢進ではなく、すくみ行動を示す様になることを発見し、この神経回路が、経験に基づく本能的恐怖応答行動の選択に関わることを明らかにしました(Agetsuma et al., Nat. Neurosci., 2010)。最近、大阪バイオサイエンス研究所の中西重忠先生らのグループによって、相同な亜核への入力を遮断したマウスで、同様のすくみ行動の亢進が観察され、この神経回路の機能が種を超えて保存されている可能性が示されました(Yamaguchi et al., Neuron, 2013)。私達は、この神経回路が魚とマウスの両方で,動物の闘争における優劣の決定にも深く関わっていることを発見しており、この神経回路の可塑的変化の仕組みと、それによる行動変化との関わりの研究を、ゼブラフィッシュとマウスを使って進めています(未発表)。
 私達は更に、ゼブラフィッシュが、条件刺激(色付きランプ)の提示によって予期される侵害的非条件刺激(電気ショック)を回避するための能動的な回避行動を学習できることを示し、ゼブラフィッシュ成魚脳のイメージングによって、この行動プログラムの想起の際に、ほ乳類の大脳皮質に相当するゼブラフィッシュ終脳の外套部で、行動のルールごとに特有な神経細胞集団の興奮が観察されることを発見し,ゼブラフィッシュ脳でもほ乳類の大脳皮質・基底核投射に相当する神経回路が、行動のプログラミングに使われていることを示しました(Aoki et al., Neuron 2013)(図F上、下)。更に、ゼブラフィッシュで、マウスの外側手綱核に相当する腹側手綱核から(Amo et al., J. Neurosci., 2010)、正中縫線核のセロトニン神経細胞への投射を遺伝子操作によって遮断したゼブラフィッシュは、古典的恐怖学習を習得できるが、忌避的な強化学習である能動的回避学習を習得できなくなること発見しました。更に、電気生理学的解析と、オプトジェネティックスによる自由遊泳中の成魚での腹側手綱核の人為的活動制御などの実験によって、この神経回路が、恐怖学習の結果、条件刺激に付随した負の報酬期待値を強化学習系に伝達する機能を担っていることを明らかにしました(未発表)。
 これらの研究を通じて、異なる手綱核の亜核が、本能的恐怖行動と適応的恐怖行動の両方において,経験依存的な行動の選択の制御に深く関わっていることを明らかにしつつあります。これまでの私達の研究で明らかになってきた手綱核の機能の異常は、様々な恐怖行動や不安行動の異常の原因になることが考えられ、手綱核に関する知見を深めて行くことは、うつ病、不安神経症、パニック障害、PTSDなどの原因究明や治療法の開発に大きく貢献することが期待されます。私達は,今後も、ゼブラフィッシュとマウスを併用し、遺伝子操作技術、イメージング技術、電気生理学的技術を駆使して、研究を一層発展させたいと願っています。
 私達が目指そうとしている研究は、研究の開始当初は、発想自体これまで誰も持ったことがないもので、研究手法も暗中模索の段階から始める必要がありました。このような状態から研究を立ち上げて、一緒に進めてきてくださった研究員や大学院生の皆さんや、快く様々な研究手法に関する助言をくださった諸先生方や共同研究者の皆様に、深い感謝と敬意の念を表させて頂きたいと思います。

[注1]
田中啓治、岡本仁、脳科学の進歩 〜分子から心まで〜、日本放送出版協会、2006。

[注2]
岡本仁、魚は心の解明に役立つか?〜還元主義的心の研究の材料としての魚〜(特集)動物に精神はあるか?、分子精神医学 第6巻4号、p25(377)-34(386)、 2006。

岡本仁、脳の進化と心の誕生、脳研究の最前線(上)脳の認知と進化。脳科学総合研究センター編。ブルーバックス、 p69-130、2007。

岡本仁、相澤秀紀、手綱核、気になる脳部位、分子精神医学 第8巻2号、p50(134)-54(138)、 2008。


[図説明]
A: ほ乳類と硬骨魚類の終脳の構造的共通性と発達様式の違い
B: 手綱核が関与する神経回路の略図
C: ゼブラフィッシュの手綱核亜核と脚間核や正中縫線核との神経結合。
D: 背側手綱核・内側亜核にdsRed(赤)を、背側手綱核・外側亜核にGFP(緑)を発現するトランスジ ェニック・ゼブラフィッシュの切片
E: 背側手綱核にdsRed(赤)を、腹側手綱核にGFP(緑)を発現する発現するトランスジェニック・ゼ ブラフィッシュの稚魚
F: 能動的回避学習の前(上図)と後(下図)での、条件刺激(赤ランプ)に対する終脳の活動を、細胞 内カルシウム濃度の変化で可視化。学習の成立後には、終脳で特異的な活動が見られた。
【受賞者略歴】
1983年 東京大学医学部医学科卒
1988年 東京大学大学院理学系研究科博士課程修了
1988年〜1991年 ミシガン大学アンアーバー校博士取得後研究員
1991年〜1993年 岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所助手
1993年〜1997年 慶応義塾大学医学部生理学教室専任講師、助教授
1997年〜現在 理化学研究所脳科学総合研究センターチームリーダー
2004年〜2009年 同 グループディレクター
2009年〜現在 同 副センター長 現在 東京大学大学院、早稲田大学大学院、慶応義塾大学大学院、客員教授

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