濱清先生を偲んで
濱清先生(東京大学名誉教授、岡崎国立共同研究機構生理学研究所名誉教授、学士院会員)が2019年5月21日に96歳でご逝去されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
九州大学名誉教授
小坂俊夫
濱先生は1923年福岡でお生まれになり、1947年九州大学医学部を卒業後、1948年より九州大学医学部解剖学教室第三講座の石澤政男教授の下で助手として形態学研究を開始されました。1956年助教授となり、1957年より約1年半シアトルのワシントン大学H. スタンレー・ベネット教授の下で本格的に電子顕微鏡を用いた研究を開始されました。1958年、帰国後、広島大学医学部解剖学教室教授に就任されました。濱研究室には全国から多くの研究者が電子顕微鏡を用いた研究を習得するために集い活発な研究が行われました。その後、1964年大阪大学医学部解剖学教室教授、1970年東京大学医科学研究所微細形態学部門教授、1982年岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授を歴任されました。1988年生理学研究所退職後、早稲田大学人間科学部教授として研究指導・学生教育に当たられました。先生のシアトルでのミミズ及びザリガニの巨大神経線維、広島でのイカ巨大神経線維での電子顕微鏡観察は、生理学的にそれぞれ電気シナプス、化学シナプスと考えられていたシナプスの構造の違いを明確に示した世界で初めての仕事でした。濱先生は”機能に対応する構造”と常に述べられていましたが、この一連の研究はまさにそれを見事に示されたもので、T. H. Bullockの著名な教科書にも大きく取り上げられています。その後、電気生理的手法の発展により、無脊椎動物だけでなく哺乳類も含んだ脊椎動物でも電気シナプスの存在が確認され、更に、神経系以外でも電気シナプスに対応する構造が確認され、細胞間の普遍的な結合の一つであるギャップ結合としてその重要性が認識されるようになりました。次に先生が注目されたのは聴覚・側線器系です。この系は振動或いは変位受容器としての有毛細胞、シナプス結合を示す求心性及び遠心性線維、グリア細胞に相当する支持細胞からなっています。濱先生は有毛細胞、支持細胞の詳細な構造を明らかにされましたが、ここで特に注目されたのは有毛細胞への遠心性シナプスでした。比較解剖学的に検討することでその遠心性シナプスが生理学的な抑制性シナプスに対応すると結論付けられました。ある場合には、濱先生の示されたシナプスの形態学的所見が先行し、後にその種で抑制性シナプスの存在が生理学的に証明されることとなりました。なお、特記すべきは濱先生が示される電子顕微鏡像の質の高さです。常にその時代の技術的限界まで追及され、多数の観察の中から選ばれた像は生物学的に多くの情報を含んでいるだけでなく美的にも極めて優れたものでした。岩波書店の科学の巻頭言(2002年3月号)で、濱先生は”何よりも心を打たれるのは、機能に対応するこんなにもきれいな構造が、生体の中に自然に存在している事です。”と述べられていますが、この言葉も先生の示された質の高い電子顕微鏡像に基づいていると思います。
濱先生は医学部生の時に脳外科を志したこともあったそうで、中枢神経系の形態学的解析は常に考えられていました。しかし、電子顕微鏡での組織構造解析を進めるにつれ中枢神経系では三次元構造をとらえることがいかに重要で同時に困難かということを痛感され、三次元構造をとらえることのできる厚い標本の観察を可能にする超高圧電子顕微鏡に注目されました。生物学者として超高圧電子顕微鏡の開発・改良に深く関られ、特に、生理学研究所の超高圧電子顕微鏡は生物学専用として濱先生の指導の下に完成し、多くの研究者に使用されました。濱先生ご自身は超高圧電子顕微鏡を用いて主にアストロサイト及びニューロンのスパインの解析を進められました。私自身も医科研の大学院生の時から超高圧電子顕微鏡用のゴルジ鍍銀標本作製をお手伝いし、本郷にあった東大工学部の超高圧電子顕微鏡を使用するのに何度か同行させていただきました。この仕事は生理学研究所でも継続し、膨大な画像を観察し、ゴルジ鍍銀標本で生じやすいアーティファクトをはっきりと区別することで、それまでの通常の電子顕微鏡像からイメージしていたアストロサイトの構造とはずいぶん異なる姿が見えてきました。薄いベールのようなシート状の突起、小さな木の葉のような突起、それらが集まった全体としてスポンジのような塊、そしてニューロンの突起がおさまっている空隙がはっきりと目の前に現れ、アストロサイトはこの様な構造だったのかと濱先生と一緒に興奮したことを今でも覚えています。一方、小脳プルキニェ細胞や海馬歯状回顆粒細胞・錐体細胞を材料としてスパインの観察も進められ、極めて細長い茎で樹状突起の幹とつながっているスパインや、頭部が枝分かれしたスパイン、小さすぎて樹状突起の幹の陰になり光学顕微鏡では認識できていなかったスパイン等多様なものが観察でき、超高圧電子顕微鏡の威力をはっきりと示すこととなりました。濱先生はこのようないわば定性的観察から更に定量解析へと進む必要性を強く認識されていました。そのために生理研の超高圧電子顕微鏡の試料ステージの開発・解析プログラム開発等を生理研の有井先生をはじめとする多くの方との共同研究で進め定量解析を可能とされました。このようにして開発された方法でスパインの密度、長さ、大きさ、表面積等のニューロンモデルを考える上で必要な精確な形態的基礎データを示されました。また、アストロサイトの突起の定量化も濱先生の最後の論文として2004年に発表されました。濱先生は1991年から1997年まで生理学研究所所長、1997年から1999年まで岡崎共同研究機構機構長を務められており、そのような多忙な中でも研究を継続されていたことには誠に頭が下がる思いです。
濱先生は研究室ではご自分が学生時代に救護班の一員として被爆直後の長崎に行かれたこと、そこで体験されたことをお話しになることはありませんでした。しかし、早稲田大学で生命倫理の講義を学生にされることになり、長崎での体験をお話になりました。これが転機だと思いますが、濱先生はご自分が目撃した被爆の実態を伝えなくてはとの強い思いで、講演や雑誌・新聞等への執筆を積極的に進められました。濱先生は「生命誌」で次のように述べておられます。
”生き物を理解するうえで大切なことは生き物の命を大切にし、自然を敬う心を持ち続けることだと思います。生き物の仕組みそのものは自然によってつくられ、生き物の命の中で守られており、それを大切にする人にしか見えてこないのですから。”
生き物の命を大切にすることが、濱先生の研究そして社会的な活動に一貫していた信念であったと思います。敬愛する濱先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(神経科学ニュース2020年No.1(2月号)より転載 )