小幡邦彦先生を偲んで
小幡邦彦先生(生理学研究所名誉教授、日本神経科学学会元会長、ブレインサイエンス振興財団理事、文科省関連の審議会委員などを歴任)におかれましては、昨年2021年8月2日に83歳でご逝去されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
アルメッド株式会社代表取締役社長・群馬大学特別教授
白尾智明
東京大学大学院薬学系研究科ヒト細胞創薬学寄付講座特任教授
関野祐子
小幡邦彦先生(生理学研究所名誉教授、日本神経科学学会元会長、ブレインサイエンス振興財団理事、文科省関連の審議会委員などを歴任)におかれましては、昨年2021年8月2日に満83歳でご逝去されました。我々門下生は、とても寂しく心もとない気持ちにかられました。いかに先生の存在に強く支えられていたかを深く実感しました。コロナ禍で多くの門下生が葬儀には参列できませんでしたが、互いにメールでやり取りしながら先生とのお別れを惜しみました。数多くの門下生がおりますが、小幡先生の大学院生の第一号が白尾であり、日本人ポスドクの第一号が関野です。この度、門下生の皆様に代わりまして追悼の寄稿をさせていただきます。小幡門下生とは、直接間接で小幡先生を通じてつながったメンバーのことです。私たちは先生を囲んで毎年集って食事会をするのをとても楽しみにしていました。小幡先生はご自身が信頼できる人々同志をつなぎ合わせてくださり、そのご縁はとても長く続いています。
小幡先生は、1937年に山口県岩国市にお生まれになりました。ご実家は眼科の開業医をなさっていました。中学3年生で上京して下宿生活を開始して、戸山高校から東京大学に入学して医学部に進学されました。先生が生理学研究者になったきっかけは、なんと学生実習にあったそうです。実習を機に当時内園耕二先生が教授をされていた生理学教室に入り浸って大島知一先生(元・東京都神経研部長)や中島重弘先生(元・パデュー大教授)の指導を受けていたのだそうです。そのころの様子は神経科学ニュースの道標の第2回に詳しく書かれています。その後、伊藤正男先生がEcclesの研究室から帰国して実験室を立ち上げることになり、小幡先生はすぐにそのチームに入り、その後大学院医学系研究科第一基礎医学専門課程に進学し、小脳プルキンエ細胞の神経伝達物質の研究で1967年に医学博士号を授与されました。医学博士取得後は、東京医科歯科大学医学部で大塚正徳先生の研究室の助手、助教授を務め、1975年に37歳の若さで群馬大学医学部教授(薬理学)に就任され、1988年に江橋節郎先生の後任として国立生理学研究所神経化学部門教授に異動されました。定年退職後は理化学研究所で5年間研究に従事されて、70歳で研究を離れられました。晩年は、岡崎の地でご家族に囲まれて過ごされました。
門下生は、常に新しい研究手法で脳の研究に取り組みました。群馬大学では、プロテオミクス時代の到来に先駆けて重要な脳機能関連タンパク質を次々と発見しました。白尾の代名詞といえるドレブリンはその一つです。また、電気生理学が主流であった神経生理学に膜電位イメージングをいち早く取り入れたのも小幡先生であり、関野は海馬CA2を介する海馬内神経回路の発見にいたりました。また、分子生物学的手法も取り入れて、神経可塑性で発現する新しい遺伝子群にも着目した研究を展開しました。このように、小幡先生は生理学者の枠を超えて、生化学、分子生物学、薬理学を取り入れて神経科学と神経化学分野を築き、多く研究者を育てきた良き指導者であられました。
先生は随筆を沢山書かれており、「行く川の流れ」と題した随筆集をまとめて我々門下生に配ってくださいました。そこには小幡先生のご経歴、研究者となるきっかけ、先生の研究人生、我々門下生との思い出話などがしたためられております。なんといっても、戦後の日本の生理学と神経科学の発展の中心におられたので、そこかしこに日本の生理学、薬理学、神経科学を振興してこられた素晴らしい先人達との思い出話がつづられています。「行く川の流れ」には続編もあり、いつか皆様に読んでいただきたいと考えています。
小幡先生の数多い業績の中でも、「小脳から延髄へ投射する神経細胞を用いてガンマアミノ酪酸(GABA)が哺乳類中枢神経系において抑制性神経伝達物質として作用する」ことを世界に先駆けて証明したことが、世界の小幡たる所以です。海外で私たちが訪ねた神経科学の研究室で、「GABAの小幡」の名前を知らない研究者は一人もいませんでした。さらにグルタミン酸が哺乳類の中枢神経系の興奮性伝達物質であることが証明されて、アミノ酸が脳内で興奮と抑制の伝達物質として作用していることが明らかとなりました。それまでは伝達物質の研究といえばアセチルコリンという時代を一掃してしまうほどのインパクトで、GABAとグルタミン酸に関する研究発表が大多数をしめるようになりました。その後さまざまな伝達物質やその修飾物質が次々と発見され、「脳と物質」が神経研究の主流となりました。このように小幡先生は現在の神経科学の礎を築いたと言っても過言ではありません。研究者としての栄誉は「自分の発見が教科書に掲載されて後進の知恵となること」だと思います。小幡先生はそれをまさに実行されました。
小幡先生は、門下生にGABAの研究を押し付けることはほとんどありませんでした。しかし、GABAの研究への情熱をなくすことはありませんでした。生理研で小幡先生はGABAの合成酵素(GAD)の遺伝子欠損マウス作成を通じて、GABAの役割を全身くまなく研究されることになります。その後、助教授の柳川右千夫先生(元群馬大学教授)とともに作成したGFP-GADノックインマウスは、GABA研究に用いるデファクトスタンダードとして、世界のGABA研究に大いなる貢献を果たしております。研究に関しては、本当におおらかに個々の考えを重視した指導をして下さいました。私たち門下生は小幡先生が引退された後も国内学会・国際学会のたびに小幡先生を囲んで食事会をして、先生にお目にかかる機会を作っては、研究の進捗や近況の報告をさせていただきました。小幡先生ご自身はあまり口数の多い方ではありませんでしたが、我々がワイワイとおしゃべりするのを楽しそうに眺めてくださっていたことが懐かしく思い出されます。
先生の学会におけるご功績を振り返りますと、日本神経科学会長を務められておりましたことは皆様の良く知るところです。また、小幡先生は生理学会においても、日本神経化学会を率いていらした慶應義塾大学植村慶一先生とともに神経生物学グループディナーを主宰され、日本神経科学学会と日本神経化学会の橋渡しとして、非常に大きな役割を務めていらっしゃいました。
昨年秋に小幡先生のご遺族から、アルツハイマー病の予防と治療のための活動に役立てほしいと寄付のお申し出がありました。アルツハイマー病をはじめとする認知症は、当人ばかりでなくそれに関わる家族、親族ならびに介護関係者に、辛くて長い苦しみを与えます。小幡先生は晩年、神経科学者として認知症を救いたいというお気持ちを強く持たれていました。そこで私たちは、認知症をはじめとする神経疾患の診断や治療につながるシーズ発掘のための研究助成、それらの研究に関わる人達が集うためのプラットホーム作りの支援、そしてアカデミアの研究成果を社会に役立たせるための仕組みづくりに貢献することを目的に、NPO法人イノベーション創薬研究所(Institute for Drug Discovery Innovation, IDDI)を立ち上げることとし、2022年3月末の設立を目指して準備しています。小幡先生のご遺族からのご寄付に関しましては、分野を超えた研究と人のネットワークを大切にされていた先生のお気持ちに沿えるような形でお応えしたく、小幡邦彦記念賞を作る予定です。
写真は、2017年4月30日に門下生が集まって小幡先生の叙勲をお祝いした時のものです。本当に楽しいひと時を過ごすことができました。ご縁の深い日本神経科学学会の会員の皆様に先生のご功績を紹介することができましたことと、また本稿におきまして追悼の意を表す機会をいただきましたことに感謝申し上げます。
先生のご冥福をお祈りするとともに、神経科学を担う皆様が教科書に残るような成果をあげられ、さらに社会を変えるイノベーションを成し遂げられることを願ってやみません。
2016年秋の叙勲のお祝いに集まった小幡先生門下生たち(2017年4月30日岡崎ニューグランドホテルにて)