国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構
放射線医学総合研究所
脳機能イメージング研究部
主任研究員
宮川 尚久
私たちの視覚認知や記憶など様々な高次脳機能は、脳内の多くの神経細胞の協調的な活動によって生み出されます。神経細胞の活動が不調になると、精神・神経疾患にみられる様々な症状を引き起こす原因になりますが、一般的な治療薬は、標的分子が神経系に広く分布するため生じる様々な副作用が長年問題となってきました。近年、実験動物の神経細胞に、特定の作動薬(化学物質)と結びついた時にのみ、神経細胞の活動を活発(オン)にしたり抑制(オフ)したりする人工受容体を遺伝子導入する、化学遺伝学と呼ばれる手法が開発されました(図1A)。この方法を用いると、遺伝子導入を行った標的脳部位の活動のみを高精度で制御できるため、詳細な脳活動の意義を解明できる有用な研究ツールとして注目されています。しかし、この化学遺伝学で用いられる代表的な作動薬CNOには、作用に要する時間の長さや、CNOの体内分解物Clozapineが人工受容体以外に及ぼしてしまう副作用など、有効性や安全性の疑念が生じ、これらの課題を克服する新しい作動薬の開発が急務とされていました。
今回、私たちは既存の数ある化合物の中から、Deschloroclozapine(DCZ)が有効性や安全性において従来の作動薬を大きく上回る、理想的な作動薬であることを見出しました。研究では、DCZと他の化合物の薬剤としての特性を比較するため、これらに放射線同位体(放射線を発生させる特殊な原子)を付与し、脳の一部に人工受容体を導入した動物の血管内に投与しました。陽電子断層撮像法(PET)という手法を用いて、これら放射性化合物の体内分布を可視化したところ、①投与部位(例 静脈内)から標的組織(例 脳内)に効率良く移行し、②標的分子に選択的に結合する(人工受容体に結合しやすく、かつ他には結合しにくい)、という点でDCZは他を圧倒する特性を示しました(図1B)。次に神経活動を計測すると、DCZは投与して数分のうちに、③人工受容体を持つ神経細胞に狙った作用(神経活動の変化)を引き起こしました。最後に、作業中の一時的な記憶を担う大脳皮質前頭前野に神経活動を抑制するオフ型人工受容体を導入すると、DCZ投与によって作業記憶が阻害され、④神経活動操作を通じて個体の認知・行動の変化が生じました(図1C)。①~④の特性から、DCZは化学遺伝学の作動薬として理想的な性質を持つことが確認されました。
本研究で見出したDCZは、1)放射線ラベルしてPETに使用することで、遺伝子導入した人工受容体の脳内分布を高精度かつリアルタイムなモニタリングを可能としました。サルはげっ歯類より遺伝子導入効率や導入の確認効率が悪いことが長年の課題となっていましたが、化学遺伝学の遺伝子導入-確認部分の高効率化に大きく貢献しました。2)マウスのみならずヒト応用前段階の試験で重要視されるサルで、神経活動とそれに伴う行動を素早く高精度に制御する化学遺伝学を可能としました。今後、脳機能や精神・神経疾患の基礎研究に大きく貢献することが期待されます。またDCZは、臨床応用の観点からも大きな意義があります。例えばてんかんの治療において、脳の異常興奮の原因となる神経細胞にだけ抑制型の人工受容体を導入しておき、症状が出始めた時にすぐにDCZを投与することで、素早くかつ副作用を起こさずに症状を緩和する、などの応用が考えられます。
Deschloroclozapine, a potent and selective chemogenetic actuator enables rapid neuronal and behavioral modulations in mice and monkeys
*Nagai Y, *Miyakawa N (*co-first authors), Takuwa H, Hori Y, Oyama K, Ji B, Takahashi M, Huang XP, Slocum S, DiBerto JF, Xiong Y, Urushihata T, Hirabayashi T, Fujimoto F, Mimura K, English JG, Liu J, Inoue K, Kumata K, Seki C, Ono M, Shimojo M, Zhang MR, Tomita Y, Suhara T, Takada M, Higuchi M, Jin J, Roth BL, Minamimoto T, 2020, Nature Neuroscience, 23, 1157 – 1167
<図の説明>
本研究の概要。 A) 化学遺伝学で用いる人工受容体は自然の受容体を改変して作られ、脳に内在する作動物質とは結合せず、人工的に作られた作動薬のみによって機能を発揮する。B) 薬剤候補を放射線同位体11Cで標識し、血管内に投与後PETを用いて頭部での分布を確認すると、見出した11C-DCZは脳内への移行性が高く、また人工受容体に特異性高く結合することが確認できた。C) 物の位置を短期的に記憶しておくために重要な脳部位に、あらかじめオフ型人工受容体を導入しておくと、DCZを投与した際にのみ、記憶を手掛かりとしたエサの取得ができなくなる。宮川(実験医学2020年11月号 pp3137-45)より一部引用。
〈研究者の声〉
2017年に代表的な化学遺伝学の作動薬CNOに疑念を呈する報告がなされてから、新規薬剤の開発は国際的な競争となっていました。本研究におけるDCZの検証は、ありとあらゆる手法を用いた総力戦となりました。生体における効果と薬物動態を押え切った点、げっ歯類と霊長類の双方で検証を行った点がポイントとなったと考えています。強力なリーダーシップで引っ張ってくださった責任著者の南本先生、共同筆頭著者の永井さん、共同責任著者Roth先生をはじめ、共著者の皆さん、また著者外でも貢献してくださった技術員の皆さんにお礼申し上げます。
〈略歴〉
東京大学工学部、同新領域創成科学研究科を経て、2005年に東京医科歯科大学にて博士号(医学)を取得。その後、理研BSI、新潟大学医学部、国立精神・神経医療研究センターにて霊長類を用いた研究に携わり、2017年4月より現職。専門は神経生理と霊長類の視覚・情動認知。