[一般の方へ ] 神経科学トピックス

状況に応じて物の価値判断を変化させる脳の仕組みを解明

筑波大学医学医療系(トランスボーダー医学研究センター)
助教
國松 淳

サルを用いた実験により、脳の深部にある「線条体尾部」と呼ばれる領域で、環境と物の価値を表す情報が組み合わせられることを発見し、特定の神経細胞の働きによって、異なった背景ごとに物の価値が学習されるという、これまで知られていなかったメカニズムの存在を示しました。

 物の価値は環境や状況によって変化しますが、私たちは経験や学習に基づいてそれを適切に判断して選択することができます。従来の考えでは、私たちの脳は特定の刺激に対する反応で得た報酬によって、物の価値を学習するとされています。しかし、このメカニズムだけでは環境の情報を考慮できないため、特定の状況での物の価値しか学習することができず、環境に依存して価値判断を変化させることができません。では、環境の情報は脳内でどのように表現され、いかに物の選択を変化させるのでしょうか。私たちは環境を判断する際の重要な手がかりである「背景」に着目し、その神経表現と物の価値との関係を調べました。

 本研究では、背景によって物の価値が変化する行動課題(背景依存的物体選択課題)を考案し、アカゲザルの訓練を行いました(図A)。この課題では価値(報酬量)が異なる二つの物体(フラクタル図形)が異なる二つの大きな背景画像の上に提示されます。同じ物体でもその価値は背景によって変化するため、サルが多くの報酬(リンゴジュース)を得るには、背景に応じて価値が高くなる物体を学習しなければいけません。
 私たちの先行研究から、長期の学習に基づいた物の価値判断に線条体尾部(図B)が重要な役割を果たすことがわかっており、同部位が環境に依存した物体選択にも関与している可能性が考えられました。また、本研究で解剖学的な検証によって線条体尾部では他の線条体領域と比べて抑制性介在ニューロンが多いことを発見したことから、同部位の抑制性介在ニューロンが特別な情報処理を担っていると考えました。
 そこで、サルが上記の背景依存的物体選択課題を行なっているときに、線条体尾部の抑制性介在ニューロンと、これまで物の価値に関わる活動を示すことが報告されている投射ニューロンの役割を調べました。その結果、抑制性介在ニューロンは物体の種類や価値に対しては活動を変化させず、背景によって異なった神経活動を示しました。一方で、抑制性介在ニューロンが情報を送っている投射ニューロンは、特定の背景のときにのみ物体の価値に応じて活動を変化させました。このことから、介在ニューロンは背景の情報を、投射ニューロンは背景ごとの物体の価値情報を保持していることが判明しました。もし、介在ニューロンが持つ情報が背景依存的な価値判断に重要であれば、神経活動を人工的に操作することで何らかの変化が引き起こされる可能性があります。そこで、線条体尾部に微量の薬物を注入して抑制性介在ニューロンの活動を阻害したところ、物体の価値のみを学習することに影響はありませんが、背景と物体の価値を組み合わすことができなくなることが明らかになりました。これらの結果は、抑制性介在ニューロンの信号が背景ごとに変化することで投射ニューロンを操作し、背景依存的に物体価値の学習をコントロールしていることを示唆しています(図C)。

 私たちは、本論文で投射ニューロンと抑制性介在ニューロンの活動変化を、これまでの学習理論などを利用することによって数理的に再現することにも成功しました。環境情報が脳内で処理されるメカニズムをさらに明らかにできれば、汎用性のある新しいAI技術の開発に応用できると期待されます。また、線条体の抑制性介在ニューロンの減少がハンチントン病やトゥレット障害といった病気で報告されており、本研究の結果はこれらの病態の解明を促進すると考えられます。

Environment-based object values learned by local network in the striatum tail/Jun Kunimatsu, Shinya Yamamoto, Kazutaka Maeda and Okihide Hikosaka/2021/PNAS/10.1073/pnas.2013623118

 

<図の説明>

A.背景依存的物体選択課題の概要。サルの眼前に置かれたモニターに行動課題が提示されます。サルは背景の上に提示された二つの物体のうちの一つに目を向けると、報酬としてリンゴジュースがもらえます。同じ物体でもその背景によって報酬量が異なるため、サルは背景によって選択する物体を変化させます。B.線条体尾部の位置。C.本研究の結果を示す概略図。先行研究から、ドーパミンからの価値情報によって投射ニューロンへ伝わる物体と背景の信号が強化されると考えられます。抑制性介在ニューロンは、背景に応じて投射ニューロンへ送る信号を変化させる事で、背景依存的な物体価値の学習を可能にしています。

<研究者の声>

本研究は米国国立衛生研究所で行いました。渡米から1年半はなかなか結果がでずに苦しい日々でしたが、その期間に蓄えたアイデアや試行錯誤によって本研究を成し遂げることができました。データに対して真摯に向き合い妥協なく研究を進めていく彦坂興秀先生には、その姿勢から多くのことを学ばせていただきました。今後は本研究を発展させ、次の発見に繋げていきたいと思います。

<略歴>

岡山大学理学部生物学科卒業(2006)。北海道大学大学院医学研究科修士/博士課程(2006-2012)よりマカクザルを用いたシステム神経生理学研究に従事。北海道大学大学院医学研究科・助教(2012-2017)、米国国立衛生研究所・客員研究員(2015-2018)を経て、2018年10月より現職。

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