所属 名古屋大学大学院
医学系研究科
統合生理学/高等研究院
職名 特任助教 氏名 片岡直也
脳では、大脳皮質や辺縁系が心理ストレスや情動を処理し、視床下部や脳幹が体内の臓器・器官を調節する機能を持ちます。こうした脳領域は、それぞれ独立した神経回路として研究されてきました。一方で、心理や情動は身体の生理機能に影響を与えるなど、「心身相関」とよばれる現象が知られています。このような、脳における、「心の神経回路」と身体の生理機能を調節する「身体の神経回路」をつなぐ仕組みについては、不明な点が多く残されています。
私達は以前、ストレス信号が、生体調節を担う視床下部から延髄へ至る神経伝達の経路を介して交感神経系を活性化し、体温、脈拍、血圧を上昇させることを報告しました(Kataoka N. et al., Cell Metabolism, 20(2): 346-358, 2014)。今回の研究では、ストレス情報が脳内でどのように視床下部に伝達されているかを明らかにする目的で、ラットの脳部位間の経路を神経トレーサーを用いて染色する実験を行い、大脳皮質の中でも前頭前皮質の最深部の領域から視床下部への経路を同定しました。そして、ヒトの社会心理ストレスのモデルである「社会的敗北ストレス」をラットに与えると、この神経路が活性化することを見出しました。
大脳皮質から視床下部への経路を、光遺伝学という技術を用いて選択的に活性化したところ、ラット個体で褐色脂肪組織の熱産生や、頻脈といったストレス反応に似た生理反応が惹起されました。逆に、この経路を選択的に破壊したラットでは、社会的敗北ストレスによるこれらの生理反応が消失しました(図A)。また、この経路の情報伝達を選択的に光で抑制した場合にも、社会的敗北ストレスによる体温、脈拍、血圧の上昇が強く抑制されました(図B)。一方で、この経路を破壊されたラットは正常に体温を調節できることから、今回同定した経路は平常時の生体調節には関与せず、ストレス反応にのみ寄与することがわかりました。さらに興味深いことに、社会的敗北ストレスを受けたラットは、自分を攻撃したラットから逃避するようになりますが、私たちが同定した経路を抑制した場合には、自らを攻撃したラットから逃避するのでなく、交流するようになりました。
本研究で発見した大脳皮質―視床下部の経路は、心理ストレスによる交感神経反応やストレス源からの逃避行動の発現を担っており、心理や情動を処理する「心の神経回路」と生理機能の調節を担う「身体の神経回路」をつなぐ心身相関のカギとなる仕組みであることが明らかになりました(図C)。さらに、前頭前皮質の最深部は、平常の生命維持には関与せず、ストレス反応にのみ寄与することから、この領域がストレス関連疾患の治療標的として有望である可能性が考えられます。今後は、この神経伝達路をさかのぼり、「心の神経回路」のはたらきを詳細に解析することで、「ストレス」や「情動」と呼ぶものの科学的実体を解明したいと考えています。
A central master driver of psychosocial stress responses in the rat. Kataoka N, Shima Y, Nakajima K, and Nakamura K. Science 367(6482): 1105-1112, 2020.
https://doi.org/10.1126/science.aaz4639
<図の説明>
図A
社会的敗北ストレスを受けると対照ラットでは褐色脂肪組織での熱産生がおこり、深部体温も上昇しますが、大脳皮質から視床下部へ連絡する神経細胞を破壊したラットでは、こうした反応は消失しました。
図B
大脳皮質から視床下部へ伸びる神経経路に選択的に光応答性クロライド透過型チャネルロドプシン(iChloC)を発現させます。ストレスを与えると同時に、10分間の光照射によりこの経路を選択的に抑制すると、ストレスによる脈拍の上昇が強く抑制されました。
図C
心理ストレスなどの情報は「心の神経回路」で処理され、内側前頭前皮質の最深部で統合されます。統合された情報は、体温上昇や脈拍・血圧の上昇などの交感神経系の制御を行う「身体の神経回路」が存在する視床下部へ伝達されます。その後、視床下部から延髄もしくは脊髄へ信号が送られ、交感神経系を活性化することで、褐色脂肪熱産生を促し、心臓の動きを早め、血管を収縮させることで血圧を上昇させます。さらに、未だ明らかになっていない経路を介して運動神経系を駆動することで、ストレス源からの逃避行動を起こします。
<研究者の声>
本研究は、心と体を繋ぐ「心身相関」と呼ばれる現象を引き起こす、大脳皮質から視床下部へ伸びる神経路を明らかにしました。視床下部より下流の神経経路を明らかにした前回の論文掲載から、本論文が受理されるまで6年の歳月を要しました。結果が伴わない時期も根気強くご指導くださいました、中村和弘教授に心より感謝申し上げます。また、様々な場面でサポートしていただいた研究室の皆様にも感謝申し上げます。
<略歴>
2009年 3月 鳥取大学連合農学研究科博士課程修了、博士(農学)。
2009年 4月 中部大学ヘルスサイエンスヒルズ研究員
2011年 3月 京都大学生命科学系キャリアパス形成ユニット特定研究員
2015年 4月 名古屋大学大学院 医学系研究科 統合生理学 研究員
2016年 2月 名古屋大学大学院 医学系研究科 統合生理学 助教
2020年 2月 名古屋大学大学院 医学系研究科 統合生理学 特任助教
2020年 4月 名古屋大学 高等研究院 兼務