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闇夜に揺れる柳から、なぜ逃げ出してしまうのか? ― 恐怖と θ 活動の話

東京大学理学系研究科生物科学専攻
助教
辻 真人
 恐怖状態に陥った動物は、平常時には反応しないような視覚刺激に対しても忌避行動を示します。我々はショウジョウバエをモデルとして、恐怖刺激が、特定ニューロン集団の Θ 活動(4~8Hzの周期パターンをもった活動)を介して、視覚依存的な忌避行動を促進することを明らかにしました。
 闇夜を独りで歩いている人が、揺れる柳を見ただけでオバケと勘違いして逃げ出す、という一節は、古典落語にもよく出てくる話です。実際、恐怖状態に陥った動物は、平常状態であれば無視するような視覚刺激においても逃げるようになることが知られています。このような「恐怖による忌避行動の促進」は、外界に対する警戒レベルを上昇させて危険から素早く逃れるために、生物全般に備わっている神経メカニズムであると考えられています。しかしながら、恐怖が実際にどのような神経メカニズムを介して忌避行動を促進するのかは分かっていませんでした。本研究では、ショウジョウバエを用いてこの問題に取り組みました。
 まず、視覚物体に対するショウジョウバエの行動が、恐怖刺激によってどのように変化するのかを調べました。このために、ハエに衝撃波を当てて恐怖を誘導した直後に、視覚物体を呈示できるバーチャルリアリティー装置を開発しました。この装置を用いて検証したところ、平常状態のハエが視覚物体に対して無反応だった一方で、衝撃波を受けたハエは、視覚物体から反対方向に走るという、明確な忌避行動を示しました(図上)。
 次に、恐怖による忌避行動の促進に重要な分子を探索しました。感覚応答を修飾する分子として神経ペプチドが広く知られています。そこで、様々な神経ペプチドを欠損した突然変異体をテストしたところ、タキキニン(Tk)を欠損したハエは、衝撃波を受けても視覚物体に対する忌避行動を示さないことがわかりました。さらに責任ニューロンの絞り込みを行い、タキキニンとグルタミン酸とを共発現する、脳内の約30個のニューロン(以後、単に「Tkニューロン」)が、恐怖による忌避行動の促進に必須であることがわかりました(図下中央)。
 次に、Tkニューロンの神経活動が衝撃波や視覚物体に応じてどのように変化するのかを、Ca2+イメージングによって調べました。その結果、Tkニューロンは衝撃波に応じて活動量を上昇させることがわかりました。さらに面白いことに、Tkニューロンは衝撃波を受けた場合のみ、視覚物体に応じて4-8Hzほどの周期的な活動( Θ 活動)を示すことがわかりました(図下)。
 そこで、 Θ 活動が視覚物体に対する忌避行動を促進するのかについて、光遺伝学的手法を用いて検証しました。具体的には、光を様々な周波数で照射することにより、Tkニューロンの周期的活動を強制的に引き起こしました。その結果、Tkニューロンの Θ 活動を誘導すると、衝撃波を受けていないハエも、視覚物体に対する忌避行動を示しました。一方で、Tkニューロンに Θ 以外の周期的活動を誘導しても、忌避行動を引き起こすことは出来ませんでした。
 以上の結果から、恐怖はTkニューロンの Θ 活動を介して、視覚物体に対する忌避行動を促進することが明らかになりました。本研究において同定した神経ペプチドTkは、げっ歯類やヒトにおいても恐怖との関連が示唆されています。加えて、 Θ 活動はヒトやげっ歯類において恐怖や視覚情報の受容に応じて活性化することもわかっています。本研究の成果は、恐怖が忌避行動を促進する共通メカニズムの理解につながることが期待されます。
<掲載ジャーナル>
Threat gates visual aversion via theta activity in Tachykinergic neurons.
Tsuji M, Nishizuka Y and Emoto K.
Nature Communications, 14, 3987 (2023)
DOI: 10.1038/s41467-023-39667-z
<図の説明>
  • 視覚物体が目の前に出現すると、ショウジョウバエは平常時においては明確な行動を示さない。一方で、衝撃波を受けたショウジョウバエは、視覚物体と反対方向に走る、という忌避行動を示す。
  • ショウジョウバエ脳の頭頂部分には、神経ペプチドであるタキキニンを発現するニューロンが約30個ある(中央)。視覚物体が出現すると、これらのニューロンは衝撃波を受けていない状態では活動変化を示さない(左)が、衝撃波を受けた状態では4-8Hzの Θ 活動を示し、この Θ 活動が忌避行動を駆動する(右)。
<研究者の声>
 本研究は、2016年に榎本研究室の門を叩いて以来7年も掛かった仕事の集大成です。ショウジョウバエ遺伝学に初めて携わる身でありながら、一から行動実験系・イメージング系・解析系の立ち上げを強行した結果、数えきれない失敗を経験しました。そのような中、寛大な心で様々なご指導を頂いた榎本教授には頭が上がりません。さらに、実験系立ち上げにあたってご助言を頂いた山元先生、古波津先生、風間先生に感謝申し上げます。
<略歴>
2016年~2019年 東京大学理学系研究科生物科学専攻博士課程。同年より現職。
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