うつ症状を生じる脳内メカニズムとその制御法
北海道大学大学院薬学研究院
准教授
竹内 雄一
うつ症状のメカニズムの理解に基づいた治療法の開発が求められています。本研究は、嗅球を中心とする脳領域間における機能的なやり取りの障害がうつ病様症状を生じ、その障害を修復することでうつ病様症状を制御できる可能性を見出しました。
うつ症状の原因は未だ不明ですが、近年複数の脳領域間におけるコミュニケーション(機能的なやり取り)の障害が原因である可能性が示唆されています。特に最近、情動を司る大脳辺縁系に属する脳領域間のコミュニケーションがポジティブな気分の維持に関わる可能性が報告されています。脳領域間の効果的なコミュニケーションは、ガンマリズムと呼ばれる一秒間に30回以上も繰り返される神経の活動パターンを介すると報告されています。うつ病にも用いられる薬であるケタミンが脳内のガンマリズムを増強する事実も、うつ病と大脳辺縁系のガンマリズムの関連を示唆します。加えて近年、大脳辺縁系の嗅球という匂いを感じる脳部位が脳全体のガンマリズムの発生源であることが報告されました。実は昔から嗅球を摘出された動物がうつ病様症状を示すことは知られていました。実際我々も嗅球の摘出が脳全体のガンマリズムを減弱すること、同時に不安様行動などうつ病様症状が生じることを確認しました。しかしながら嗅球摘出は、ガンマリズムの減弱だけでなく、嗅球神経細胞の喪失や脳損傷による炎症反応等も同時に生じるため、それらのいずれがうつ病様症状の原因であるかは分かりません。そこで本研究は、嗅球由来のガンマリズムを選択的に操作することにより「うつ病様症状の原因はガンマリズムを介した脳領域間のコミュニケーション障害である」、という仮説の検証に挑みました。
まずラットにおいて、嗅球由来の情報伝達を選択的かつ可逆的に阻害する実験を行いました。その結果、嗅球から梨状皮質という脳領域へのシナプス伝達を遺伝学と光照射分子不活性化法を組み合わせた手法で選択的に弱めた場合に、嗅球―梨状皮質間の主としてガンマリズムを介したコミュニケーションが減弱し、うつ病様症状が生じることが分かりました。次に、より直接的なガンマリズムへの介入実験を行いました。その結果、高時間精度の脳深部刺激でガンマリズムを特異的に標的して阻害するとうつ病様症状が生じたことから、嗅球―梨状皮質間のコミュニケーション障害がうつ病様症状を生じる十分条件であると分かりました。さらに、ケタミンの投与や高時間精度の脳深部刺激によってその障害を修復することで、リポ多糖の全身投与で誘発したうつ病モデルラットの症状を軽減させることに成功しました。
本研究で、うつ病様症状を生じる脳内メカニズムの一端を解明し、その制御法を見出すことができました。本研究の成果は、難治性うつ病の新規治療法開発の端緒となると期待されます。
<掲載ジャーナル>
Reinstating Olfactory Bulb-Derived Limbic Gamma Oscillations Alleviates Depression-like Behavioral Deficits in Rodents
Qun Li†, Yuichi Takeuchi†, Jiale Wang, Levente Gellért, Livia Barcsai, Lizeth K. Pedraza, Anett J. Nagy, Gábor Kozák, Shinya Nakai, Shigeki Kato, Kazuto Kobayashi, Masahiro Ohsawa, Gyöngyi Horváth, Gabriella Kékesi, Magor L. Lőrincz, Orrin Devinsky, György Buzsáki, Antal Berényi
Neuron 111: 2065–2075, 2023.
https://doi.org/10.1016/j.neuron.2023.04.013
†: 共筆頭著者
<図の説明>
健常な状態では嗅球と梨状皮質という脳領域はガンマリズムと呼ばれる約50–70 Hzの周波数帯で機能的なやり取りを行っている。その機能的やり取りを実験ラットにおいて人工的に減弱させると、通常好む甘い水への嗜好性が減弱した(うつ病様症状)。減弱した機能的やり取りを薬剤や脳深部刺激で修復すると、うつ病様症状は軽減した。
<研究者の声>
本研究は、竹内ともう一人の筆頭著者であるLi博士が、2018年から主としてハンガリーセゲド大学医学部のAntal Berényi研究室において実施したものです。大変時間はかかりましたがLi博士と励まし合い、データと上司らに導かれ、何とか出版までたどり着くことができました。Li博士は数学者で全くウェット実験の経験が無かったため私が彼女に動物実験を一から教えることになりました。一方、数学力に裏付けられたLi博士のデータ解析は大変力強かったです。共同研究者の先生方の手厚いサポートにも助けられました。この場を借りて御礼申し上げます。
<略歴>
2010年 総合研究大学院大学生命科学研究科 修了。博士(理学)。日本学術振興会 特別研究員、東京女子医科大学医学部 助教、セゲド大学医学部 特任助教、大阪市立大学大学院医学研究科 特任講師を経て、2021年より現職。