『見る』ために重要な抑制性神経伝達物質GABAの網膜での機能的多様性を解明
国立遺伝学研究所
助教
松本彰弘
抑制性の神経伝達物質であるGABA(ɣ-アミノ酪酸)は、神経回路での興奮性を制御することで中枢神経系での情報演算 に重要な役割を果たします。本研究では、視覚系の感覚器官である網膜でのGABA作動性ニューロンの機能的多様性が、視覚情報処理の基盤となることを明らかにしました。
中枢神経系におけるニューロン間での情報のやり取りは、多種多様な神経伝達物質が担います。とりわけ
GABA(ɣ-アミノ酪酸)は、脊椎動物の脳における主要な抑制性神経伝達物質です。GABAを放出する(GABA作動性)ニューロンは、興奮性ニューロンに比べて数が少ないものの、神経回路の興奮性を調節し、情報演算に多様性を生み出す役割を果たします。GABA伝達の異常は、
自閉スペクトラム症や認知障害など、様々な神経疾患の原因になることが分かっています。
脊椎動物の
網膜は、生体からそのまま取り出し、生体と同じような生理状態で入力(光刺激)に対する出力(神経活動)を記録、解析することのできる優れた回路モデルです。視覚系の 網膜では、ものの形や色、動きなど様々な視覚情報が抽出され、脳へと伝送されます。こうした情報処理には、網膜内層のGABA作動性ニューロンであるアマクリン細胞が重要とされていますが、これまではGABAの動態を直接的に測定する手法がなく、機能的同定がされてきませんでした。
本研究では、網膜のアマクリン細胞に焦点を当て、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校のLoren L. Loogerラボとの協同研究により 網膜でのGABAの機能的作用を明らかにしました。米国ハワード・ヒューズ医学研究所GENIEプロジェクトで新たに開発されたGABAセンサーとして機能する蛍光タンパク質「iGABASnFR2」を網膜に用い、高い空間解像度での観察が可能な
2光子顕微鏡イメージングによるGABA信号の可視化を行いました。取得したGABA信号の大規模データを、機械学習による特徴抽出、確率モデルによるクラスタリングを活用し、40種類以上もの放出動態の異なるアマクリン細胞を同定しました。情報理論を活用した数理解析の結果、それぞれの種類は、明暗、もの の形、動きなど異なる視覚情報を担っており、視野の安定化や視線の制御などの視覚機能に寄与することが示唆されました。
網膜にはいくつもの神経伝達物質が存在しますが、本研究の結果、GABA作動性アマクリン細胞の 機能的な 多様性が明らかになりました 。視覚系 は、絶えず膨大な視覚情報を処理しています。 異なる時空間特性をもつアマクリン細胞タイプのそれぞれが、得意とする視覚特徴に反応してGABAを放出することで網膜での回路演算を効率化し、私たちが知覚する豊かな安定した視覚世界を形成する基盤となっていると考えられます。
<掲載ジャーナル>
タイトル:Functionally distinct GABAergic amacrine cell types regulate spatiotemporal encoding in the mouse retina
著者:Akihiro Matsumoto (松本彰弘)、Jacqueline Morris、Loren L. Looger、Keisuke Yonehara (米原圭祐)
掲載誌:Nature Neuroscience
日付:2025年4月15日
DOI:10.1038/s41593-025-01935-0
URL:
https://www.nature.com/articles/s41593-025-01935-0
<図の説明>
- 網膜での視覚情報処理の模式図。網膜は、眼球の底(脳側)に張り付いたシート状の神経組織です。生体では視細胞が眼底側(脳側)を向いています。外界からの光は、網膜に結像すると、視細胞で神経信号に変換され、網膜内の多種多様なニューロンによる処理へ経て、視神経を介して脳へと伝送されます。
- 網膜内層での情報 演算に重要なGABA作動性ニューロンについて、蛍光GABAセンサー「iGABASnFR2」を用いてGABA信号を2光子顕微鏡イメージングによって可視化することに成功しました。さらに、機械学習や情報理論などの数理解析を活用することで、40以上もの機能的に異なる種類が存在することを明らかにしました。
<研究者の声>
私が東京大学心理学研究室の学生であった頃、指導教官の立花政夫先生から「アマクリン細胞の分類学は長い歴史があり、本邦でも橋本葉子先生らが取り組んできた難題である」と聞かされていました。組織、形態、生理学的に多くの知見が蓄積されながらも、その複雑さゆえ体系的分類は達成されていませんでした。
包括的理解には、自分が培ってきた数理的な機能クラスタリングが有効と考えていた折、研究室の主宰である米原圭祐教授の強力な支援の下、ハワードヒューズ医学研究所GENIEプロジェクトのiGABASnFR2を利用する機会にも恵まれ、網膜GABA信号の網羅的解析に成功しました。
遺伝子発現解析にご協力頂いたLoren Looger研究室、ご支援くださった方々に感謝いたします。
<略歴>
2012年3月 東京大学文学部卒業
2017年3月 東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻 修了 博士(心理学)
2017年4月-9月 立命館大学グローバル・イノベーション研究機構 専門研究員
2017年10月-2021年9月 DANDRITE, Department of Biomedicine, Aarhus University, Postdoctoral Researcher
2021年10月-2022年11月 DANDRITE, Department of Biomedicine, Aarhus University, Assistant Professor
2022年12月-現在 国立遺伝学研究所 多階層感覚構造研究室 助教